学校法人 和田学園  認定こども園 青竜幼稚園

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前園長日記/和田節子ライブラリー

『思い出さがし』 171・生と死④

「ワー、ぎょうさん入っとるなー。」とおばちゃんは嬉しそうに言って水の中に足を入れました。小さな池の魚たちは10匹ほどのかたまりになって池の中をぐるぐる回っていました。(今晩のおかずになる!)いつも腹ペコの私はとても嬉しくて、どうしたら全部の魚を持って帰れるかと考えをめぐらしていました。英ちゃんのお母さんは川から足を上げて石の山に座ってじっと魚たちを見ていました。「おばちゃん、首にかけとる手ぬぐい貸して!」と叫ぶといつもと違う厳しい顔をしたおばちゃんが低い声で言いました。「ここの魚たちを川へ戻してやろう。」「だって食べるものがないんよ。川の魚を取って食べるしかないやん。」と私が泣き声になると、「ごめんな。みんな、もう缶詰も乾パンも食べてしまったし、ひもじいなー。けど、ごめん。英ちゃんがこの池を作ったんわ。きっと淋しくて友達が欲しかったんや。せっちゃんは友達やけど、英ちゃんは魚さんとも友達になりたかったんやと思うねん。友達を食べるのはよそう。おばちゃん、あの橋の下に何があるか探して来るけん。待っててな。」そう言っておばちゃんは橋の下の草むらの方へ降りて行きました。私は小さな池の中の元気な魚を見ながら少し石をずらしてやりました。水の流れが変わったのか、魚が数匹池の外へ出て行きました。小石がごろごろころがっている中を流れにのって少しずつ動く魚を見て「がんばれ!生きるんだよ!」と思わず叫んでいました。
2015年05月29日 23:56

『思い出さがし』 170・生と死③

4年生になり日本は敗戦国となり、私たちは北朝鮮から引き揚げて来ました。8月、9月、10月、11月と季節の変わりの中で、草の根を食べて来ました。きょう私のとなりで大人しく眠っていた子が次の朝に冷たくなっていることが何回かありました。自分の力では、どうすることも出来ない大きな力で押しつぶされいく小さな生命と向き合う日々は敏ちゃんの死と向き合ったことで免疫が出来ていたのでしょうが、痛いほどの悲しみの中で残った家族を支えるエネルギーがありました。その母親の涙を何度も何度も拭き、その子の絵を描き続けました。私の弟と1つ違いの1年生の子だったと思いますが、河原の石を積み上げて少し高くなったと思ったら音をたてて崩れていくのを笑い声を上げて手を叩いたり、ゆっくり落ち着いて魚を岩の隅に追い込んで、いざ捕まえようとしたら逃げられて川の中で尻もちをついた絵を描いたりして思い出を言葉にする毎に、その子の母親は涙を笑顔に変えていきました。下手くそな絵をとても大切にして茶封筒の中に折りたたんで持っていて下さいました。時々出しては2人でこの時の光景を詳しく会話して泣いたり、笑ったりしました。でも、ふっと心の中に隙間ができると、そのお母さんは死ぬことを考えている様でした。「おばちゃん。」と声をかけると、ハッとして我に返り涙を拭いていました。「おばちゃん、英ちゃんの作った池へ行こう。」と誘うと嬉しそうについて来てくれました。石で四方を囲んだ30㎠の池の中にあの日の魚が泳いでいました。
2015年05月22日 23:56

『思い出さがし』 169・生と死②

敏ちゃんの死のショックを胸にしまい込むと私はよく笑う子になったらしいのです。「せっちゃんはいつもニコニコしてええなぁ。」とよく近所のおばちゃん達に言われました。悲しみを心の奥にしまい込むと反射的に笑顔が出るのでしょうか、気がつくと私はいつも心の中で敏ちゃんと会話をしていたのです。「私の先生は私と同じ名前の節子先生と言うんだよ。何だか嬉しいんだよ。」「そう、良かったね。どうしてその名前にしたのか聞いてみた?」「いやや、恥ずかしいから聞けないの。ドキドキするもん。」「そうやね。又、今度聞く日が来たらいいね。」「うん。」と、にっこりして会うという様なことが毎日あった様に思います。いつもどんな小さなことも言葉にして心の中で会話していた頃から、いつも暗くて、うつむいて下ばかり見ていた私の姿がどんどん消えていったのだと思います。敏ちゃんの絵を描き、心の中で会話することが心のステージを上げることになったのでしょうか、本当に不思議な位、敏ちゃんのは私のより身近にいたのです。2人で時間を忘れて遊んだこと、歌ったこと、れんげ畑で寝ころんだこと、この身体を触れ合った日々があったならばこそと強く思います。敏ちゃんのことを忘れずに、いつも自分の中に取り込んで会話して生きて来たことで敏ちゃんは死んではいないのだと、ずっと思っています。「せっちゃん、私はせっちゃんを通して生きてると思っているの。」久しぶりの敏ちゃんの夢の中の言葉です。
2015年05月16日 23:53

『思い出さがし』 168・生と死①

敏ちゃんが小児結核で亡くなったことを知ったのは、私が1年生の夏休みでした。ご飯も食べず、ひたすら布団をかぶって泣き続けた日を思い出すと、キリキリと胸が痛みます。あの頃、胸を患って血を吐いて死んで行く若者がいっぱいいました。結核は不治の病と言われ、そんな子の近くへ行ったり遊んだりすると親から叱られたものです。小学1年の私はその理不尽さに強く抵抗しました。「だれも病気になりたくてなった人はいないのにどうして遊んではいけないの?」母に怒りをぶつけたこともありました。母は看護師であり助産師でもあったので、私の怒りをそれなりに受け入れてくれました。でも敏ちゃんと遊んで帰ると、アルコールで手を洗ったり、うがいをしたりと他の子の時とは違ったことを思い出します。敏ちゃんのお母さんも結核だったのでしょうか。母も友人の息子さんが結核のため学校をやめ、自宅療養していることを話してくれ「早くいい薬ができるといいのにね。外国ではいい薬があるらしいよ。何とかならないのかな。くやしいね。」と話してくれました。友人を幼い時に亡くすという体験は、心に重い石を抱えている様な感じが残りました。私は敏ちゃんの姿をいつまでも忘れない様に毎日絵を描きました。おばあちゃんの丸い背を描きました。四つ葉のクローバーを首にかけた敏ちゃん、ゆりかごの歌を歌う敏ちゃん、私のお父さんの物まねに声をあげて笑う敏ちゃん、梅干し粥を淋しそうに食べていた敏ちゃん。友人の死は私を少し複雑な思いの子にしてくれた様です。
2015年05月08日 23:56

『思い出さがし』 167・出会い⑤

「だいすき」という言葉が私の心にジ~ンと響きました。四つ葉のクローバーを絵本の間に1枚1枚挟んで押し葉にするという敏ちゃんに感心していると「お母さんが良くして下さったの。」ということでした。私は黙っていました。玄関脇の廊下でおばあちゃんと2人で抱き合っていた姿を思い出すと何とも言えなかったのです。「せっちゃん、いつも私のこと大切に思ってくれてありがとう。わたしね、せっちゃんとお友達になる前はとっても泣き虫で毎日泣き虫でおばあちゃんを心配させていたの。わたし3つの時、おかあさんが病気で亡くなってね、おばあちゃんの家へお父さんと一緒に来たの。おばあちゃんはとっても優しくてわたしを可愛がってくれるんで嬉しいけどお母さんがいないのはどうして?どうして?っていつも思っているの。長いこと病院に入っていたお母さんが、もうどこにもいないなんてどうしても分からないの。おばあちゃんは『お母さんはお星様になって敏ちゃんのこと守って下さっている』といつも言われるのでわたし、いつも空を見ているの。そしてお母さんとお話しているの。でも、せっちゃんと桜の木の下で会った日から、お話を聞いてくれる人ができてお母さんにも、その話を沢山しているの。お母さんが毎日歌って下さった、ゆりかごのうたをせっちゃんが嬉しそうに聞いてくれるのが一番好き。ひとりぼっちじゃないもの。」ゆっくり静かに話しかける敏ちゃんの淋しげな顔がピンク色になるのが可愛いなと思って、私もお姉さんになった気持ちで聞きました。別れの日、北朝鮮に向かう見送り客の中の敏ちゃんの淋しい笑顔が忘れられません。あの日が2人にとって最後の日になったことも忘れません。
2015年05月02日 23:35

『思い出さがし』 166・出会い④

おばあちゃんが背中を丸くして敏ちゃんを抱っこしている姿はとても切なくて、でも温かいものでした。その日、私は1人で道端に咲いていたクローバーの葉を見つめながら、いつの間にか四つ葉のクローバーを探していたのです。白詰草と呼ばれるクローバーには白い花が咲いていました。その花を摘みながら、そして花の頭をそろえて花輪を作りながら四つ葉のクローバーを探しました。1人で遊ぶことが久しぶりだったので時間の立つのを忘れて田んぼ道の真ん中まで来ていました。ゆっくり腰を上げると花輪はレイのできる長さになっていました。白詰草のレイを作り上げると、どっと疲れた私は、クローバーに包まれてしばらく休みました。ふと目を開けると目の前に四つ葉のクローバーが風にゆれていたのです。歩いても歩いても見つからなかった四つ葉のクローバーが私を待っていた様に目の前にあったのです。「あった!あった!」私はひとりで大声を出し、目を皿にしてクローバー群を見つめました。そして驚きました。10cm四方に1本のあたりで見つかったのです。種類の違う群れだったのでしょうか。20本ほど摘んでレイと一緒に持って田んぼ道を走りました。「敏ちゃーん!」と叫びながら、その思いが通じたのでしょうか、敏ちゃんが玄関の前で空を見上げている姿を見つけました。レイを首にかけ四つ葉のクローバーを渡すと、えくぼの笑顔で受け取り「ありがとう!!だあいすき。」と言ってくれたのです。
2015年04月25日 23:13

『思い出さがし』 165・出会い③

理由のはっきりしない発熱に驚いた母は、その夜、冷たい水で何度も頭にタオルを置いてくれました。そのタオルの冷たさだけは覚えています。次の日の朝、下着を変えている私の額に手を当てて「あら、熱ないね。何の熱やったんやろ。」と梅干の入ったあったかいお粥を持って来てくれました。ふと、そう言えば、あの日敏ちゃんはお粥を食べていたのかも知れないと思い会いたくなりました。するするとお粥を飲み込んで梅干の種を口に含んで敏ちゃんの家へ急ぎました。敏ちゃんは玄関の脇にある廊下で椅子に腰かけて歌を歌っていたのです。私は立ち止まってその歌に耳を澄ましました。「ゆりかごのうたをカナリヤが歌うよ。ねんねこ ねんねこ ねんねこよ」とてもカワイイ澄んだ歌声でしたが悲しそうにも聞こえました。何だか泣きそうになり、黙って座っていました。もう一度繰り返して歌う敏ちゃんを見つめてビックリしました。敏ちゃん、ほほに光るものが見えたのです。涙です。思わず「敏ちゃん。」と叫ぼうとした時、おばあちゃんが「敏ちゃん、泣いてええんやよ。『お母さ~ん』って泣いていいんやよ。」と言って後ろから敏ちゃんを抱きしめられたのです。同じ思いでした。「敏ちゃんと手をつなぎたい!!」でも私はやめました。おばあちゃんと敏ちゃんを2人にしてあげたいと幼い心で思った日を忘れません。
2015年04月17日 23:34

『思い出さがし』 164・出会い②

敏ちゃんは余り体力がない子でしたが、辛い時は、えくぼのある笑顔が少なくなります。いつもとなりにいた私には、それが分かり敏ちゃんのおばあちゃんに伝えました。やっぱりお医者さんに行くと「2、3日は柔らかい物を食べて、お外はダメですよ。」と言われてしまうのです。おばあちゃんは「せっちゃんはお医者さんみたいで助かるのう。」と肩を叩いてくれました。でも、その2、3日の寂しかったこと。毎日野原で摘んだ草花を持って、敏ちゃんをたずねました。その時、初めて敏ちゃんにはお母さんがいないことを知りました。おばあちゃんが仏壇を開けて「これが敏子のお母さんだよ。」と教えてくれたのです。茶の間でお粥を食べていた敏ちゃんの方を見ることが出来ませんでした。仏壇の中のお母さんは敏ちゃんそっくりの優しいえくぼの笑顔の写真が私を見ていました。涙が止まりませんでした。声も出さずに涙を流す私をおばあちゃんは「ごめんな、もっと早うに言っておけばよかったのに。」と抱きしめてくれました。5才も終わりの頃でした。あの時の悲しさは生まれて初めての体験だったからでしょうか。「敏ちゃん、さようなら。」と言うのがやっとでした。その夜、私は40℃近くの熱を出して、母をビックリさせたといつも言われていました。
2015年04月10日 23:36

『思い出さがし』 163・出会い①

4月を迎えると桜の花のトンネルで出会った幼い頃の友人を思い出します。日本を離れて海を渡った北朝鮮の異国へ出かける頃でした。伏見川の川原は両側の桜並木がとても美しいピンク色の桜でいっぱいだったのです。でも別れの辛さがその美しさを感じる心をなくしていたのでしょう。あまり覚えていません。いつもいつも隣にいて笑ったり泣いたりけんかしたりして「あしたまたね。」と言って次の日も必ず会えた二人だったからです。1つ年下の敏ちゃんは、それは優しくて控えめで歌の上手な女の子でした。近所のおばちゃん達は「うぐいすみたいな美しい声だね。」と話していました。私は嬉しくて「ありがとう、おばちゃん。私の仲良しの敏ちゃんよ。」と自慢しました。柔らかい日差しの中で木の切り株に腰かけてゆったりと歌う敏ちゃんの「ゆりかごのうた」が大好きでした。「春よ来い」も歌ってくれました。私は金属的な歌声なので、柔らかい敏ちゃんの歌はほっこりと優しくて思わず耳を傾けてしまうのです。おままごとをする時もいつも私はお父さんで、お母さんは敏ちゃんです。時々2役する時、私は男役で敏ちゃんは女役です。そんな二人が出会ったのが桜並木のトンネルで、雪の様に舞う桜の花びらを両手を広げてうけていた時です。「わあ、きれい!」とかわいい声が私の心をつかんだのでしょう。すぐに友だちになりました。
2015年04月03日 23:55

『思い出さがし』 162・集団の中の子ども④

特別な学問を受けたわけでもなく、ただ関心のあった赤ちゃんの世界を見つめてお手伝いしたいと思ったヘルパーさんが、もう一度子どもの育て直しをしたいと思った時、娘の子どもを育てながら勉強したいと決意したのでしょうね。子育ての講演会にも出席してノートにその実績がつまっている様でした。たしかに子どもの鋭い直感力やイメージ力に驚かされることが沢山あります。母の出産で四月入園できなかった女の子が連休明けの5月6日に入園して来た日。担任が「皆さん、今日から新しいお友達になるA子ちゃんですよ。はじめましてだね。分からないことは教えてあげてね。A子ちゃん、入園おめでとう。」とクラスの子に紹介した所、A子ちゃんは突然お家ごっこをしていたお母さんの役の子を指さして「先生、私この子嫌い!」と言い放ったのを聞きました。先生が何とか取り直そうと思って動いた途端、指さされたB子が「私もこの子嫌い!」と受けて立ったのです。入園1か月の子ども達はビックリして遠巻きにしていましたが、やがてB子の回りで遊んでいた子達が「続きしよう。」と言い、A子の回りでウロウロしていた子の2、3人が「ロッカーここやよ。トイレはこっちやよ。」とお世話を始めました。3才児の出来事だったので3才児の勉強をしようと思いました。現場はストーリーに満ちています。
2015年03月27日 23:31

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