学校法人 和田学園  認定こども園 青竜幼稚園

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前園長日記/和田節子ライブラリー

『思い出さがし』 191・変わった子③

80年近くも生きていると色んな子どもに出会います。小さい頃から礼儀正しく、自我を強く出すこともなく、静かに遊びを見ているO君は誰からも褒められる素敵な少年でした。卒園した保育園では、代表でお別れの言葉を述べたというだけでなく、謝恩会ではチューリップの花を歌う時、伴奏をしたと言うのです。そんな華々しい活動をした子には見えない優しい1年生でした。しっかり前を向いて話も頷いて聞く姿は見事でした。2時間目と3時間目の間に20分の長休みがある小学校では、授業中には見られない子どもや子ども同士の関係性が見えるので、私はその時間を大切にしました。オセロを楽しんだのも将棋を覚えたのも折り紙、あやとりを続けたのも、こうした時間でした。声がかかるとすぐに行動し、順番を決めて子ども達と遊びました。3、4年生になるとドッジボールが盛んで対抗戦での組分けで子ども関係がよく見えました。ボールを送る相手を選んで自分のチームが勝つ様にする子と好きな子にだけボールを送る子もいました。1年生の時のO君が4年生になってドッジボールをしている姿を見ましたが、1年生の時の静かで優しい顔ではなく、ボールを自分の方へ送れとばかりに大声を上げて試合中にボールを1人占めする姿にびっくりしました。私は3年生担任だったので運動場の空き場所を何とか確保して男の子達とドッジボールをしていたのでO君のすごい大声にビクビクしながら彼のボールを横取りする姿に心を痛めていました。
2015年10月30日 23:55

『思い出さがし』 190・変わった子②

1才と9か月後に生まれた三女の頑固さは特別な気がしました。母乳だけの育ちでしたが、教員をしていた私が遠足などで授乳する時間がない時は、母親が帰って来る4時半までガンとしてミルクも番茶も受け付けず、時々泣きながら母親を待っていたそうです。何といじらしい赤ちゃんと言われましたが、その純粋な我慢強さは天性のものの様です。『無口な子ですが、自分を持った子だね』と学生時代の先生に言われました。その5年後、次男ではありますが長男の役割を持った4番目が生まれました。長女が4年生で「やったぁ、私、お嫁さんになれる!」と大喜びをしました。きっとお婿さんを迎えるイメージがあったのでしょう。4200gの大きな子でしたが、小児喘息を患い1才半から3才まで苦しみました。1才半ぐらいでヘルニアの手術を受け、1週間の入院中、休めない母親のために1人で病院のベッドにいました。それは誰も信じてくれないのですが、病院長の奥さんや私の教え子や叔母に支えられ乗り越えてくれました。病院の窓から市営バスが通るのを眺め、手にミニカーを持って、私が勤め先から帰るのを待ってくれました。「変わった子やね」と言われましたが、その子の強さに励まされ生きて来たと思っています。三男の息子も人の真似をすることが大嫌いで、いつも担任を悩ませていた様です。「パズルをしたら、どうしてもはまらない一片があるとしたら和田君です」と言われた時、なんと面白い子だろうと思った母が実は一番変わっていたのでしょうね。
2015年10月23日 23:57

『思い出さがし』 189・変わった子①

「変わった子」と言われた仲間に吾が子の5人も入っていました。長女は食事が遅くて、2時降園で迎えに行くと、まだ食べていて先生に大変ご迷惑をおかけしました。みんながお帰りの用意をしている間にも、その様子を見ながら最後まで食べているのには、子ども達にとっても変な子と思わせていたようです。「内の恵子知らない?」と聞くとみんなが「まだお弁当食べているよ。」と口々に伝えてくれて「『がんばるから先に帰ってて』言われたんよ。」と教えてくれる仲良しさんもいたのです。申し訳なくて教室をのぞくと、先生と何やら話し合いながら食べている吾が子を見てうろたえた日がありました。次女は生後9か月位から歩き出し、誕生日前には砂浜を走って「暑い、暑い。」と叫んで波打ち際まで辿り着いていました。3才上の姉がいじめられると三輪車に乗ってドライバー片手に反撃しに行く子でした。その時の写真が今も残っていて話題になっています。そのくせワンパクな男の子をいつの間にか味方にして女番長になっていたりして男の子と同じ遊びが大好きでした。そのためか、どの写真も『赤ちんき』をつけた顔や手足がしっかり写っています。ワンパク坊主とけんかをして何度も謝りに行ったこともあります。とにかく考える先に行動する所があり、友だちがいっぱいで親も名前を覚えることができないほどでした。コミュニケーション力の大きさは今も変わらず変な子の面目躍如です。
2015年10月19日 23:57

『思い出さがし』 188・いろいろな子と出会う④

クレヨンは緑と紫しか使わず、人や動物は必ずシルエットで描く子で文章を見たのは初めてでした。「土肥君、クレヨンを貸してあげたことないの?」といろいろ考えた後に聞くと足の動きを止めて、「そうや!みどりのクレヨンあげたことある。短くなって使えんくなって、指でコネコネしとったし、『ボクの使って』とあげたの忘れとった!」と表情が柔らかくなります。「でも先生、ボクがとってもイヤなこと言ったがに(ありがとう)って言うかな。ボクやったら、いらんものにやらんわいと思って、次の子の分を描くけどなあ。先生、不思議な子やね。先生もそう思わんけ?」静かだけど早口に話しかける土肥君が、いつもクールで何を考えているのか分からない子だと思っていたのに、とても身近に感じました。「不思議な子だと思うよ。でも、君もフシギちゃんだよ。」「どうして?!フツウだよ。」「あなたは、みんなの中にいてもみんなと違うことを考えている子だなあといつも思っていたよ。」「どうして?」「音楽室でカエルの歌を歌っている時、真面目な顔をして『グワーグワーグワグワ・・・ガガ』とわざと汚い声で歌っていたでしょう。全くふざけていないのに女の子達がイヤな顔してたもん。」「ボク真剣に、おじいちゃん蛙になって歌ったんやぞ。分かっとらんなあ。」「ごめん、ごめん、先生から女の子達に話すからね。A君があなたに『ありがとう』と言ったのは、きっと、みどりのクレヨンのお礼だと思うよ。『そんな絵いらん』というあなたの声を聞いて、ふっと、そのこと(みどりのクレヨン)のことを思い出したんだと思うな。でも、『ありがとう』って言葉って素敵だと思わない。」「うん、ボクA君に言われた時、あっ、オレってイヤな奴やって思ったもん。いい言葉や。でもあんまり言われると気持ち悪いかも。」やっぱりA君と同じ変わった子でした。
2015年10月09日 23:58

『思い出さがし』 187・いろいろな子と出会う③

一瞬教室の空気が動かなくなりました。A君を見ると手を休めることなくサザエさんを描いています。私はA君の姿の中に揺るぎないものを感じて、じっくりA君の手元を見つめていました。彼は出来上がった絵の空白の部分に何やら書き始めました「『サザエさん』どひくんへ」と書いたのです。どひ君とは、「そんな絵、いらん。」と言った15番目の土肥君だったのです。「いらん」と言った時、部屋の雰囲気がいつもと違っていたので土肥君の表情が引きつっていました。そんな土肥君にA君がさっと近寄って「ありがとう。」と言ってサザエさんの絵を差し出したのです。みんなはビックリしました。いつもは「はい」と「いいえ」とか「イヤ」といった短いフレーズの単語しか聞いたことがなかったので、みんなはひどく驚き、プレゼントされた土肥君は、もっとビックリして、「あ、ありがとう。」と頭を下げて照れて椅子に座りじっとサザエさんの絵を見つめていました。みんなもその絵を覗き込んで「絵も上手やけど字が綺麗やな。」と(すげえなぁ)という表情がいっぱい見られました。土肥君はその日の帰りみんなと少し遅れて私が教室から出て来るのを待っていたようです。駆け寄って来ると少し低い声で「先生、A君なんで『ありがとう』って言ってl僕に絵をくれたんやろう?」と聞きました。目が真剣でした。「そうだね、先生も分からんかった。でも土肥君なら分かるんだと思ったのに。」と言うと、「僕も色々考えてみたけど、思い当たることがないんや。なので、『ありがとう』なんやろう?」とズックの先で廊下をつつきながら首をかしげています。
2015年10月02日 23:56

『思い出さがし』 186・いろいろな子と出会う②

「ありがとう!」涙声の私を見て笑う子と不思議な顔の子、もらい泣きする子。小学1年生と違って2年生になると少々複雑な思いを受け止める子も出て来ます。「A君は?」と問いかける子に『サザエさん』の絵の話をすると隣の机の子が「私、もらったことある。影絵なんだよ。それがね、見るとすぐわかる髪型なのよ。」と言います。(そうか、知っている子がいるんか)と思っていると、その後ろの席の子が「A君、天才やぞ!天才!」と付け加えてくれます。(そうか、存在感のある子なんだ。私には見えてないことが沢山あるんだ。ごめんね)と思って、「今、3組の教室に1人でサザエさんを描いているので時々見に行くね。」と言うと「先生、ボク見て来る。」と言う子が数人。「そっと見に行くだけにしてね。2人でいいと思うよ。」「ほんなら、O君とM君。」と推薦されたO君とM君が私の指定した時間に見守り隊として行ってくれました。チャイムが鳴って教室へ帰るとA君がホッとした表情で迎えてくれました。1人には、なったけど心細かったのでしょう、やがて出席順に友人達にサザエさんのシルエット絵を分けてくれました。11枚ありました。みんな大喜び。「次はボクの番や!」と12番目のH君が嬉しそうです。「なんで?」と言う子に対して、「だって出席簿順やもん、なっ、A君。」「うん。」とうなずくA君。いい表情です。ひとりひとりの良さをみんなで理解し合う2年生社会の美しさに胸があつくなります。ところが、その中にたった1人「そんな絵いらん。」と言った子があらわれたのです。
2015年09月25日 23:57

『思い出さがし』 185・いろいろな子と出会う①

自閉症という言葉が、まだ理解されていない時代に小学2年生で初めてそんな傾向の男の子A君を担任したことがあります。音楽室を使用できる日があり、音楽室の前まで手をつないで行ったのですが、ドアの前でピタリと動かなくなり私の手を痛い程握りしめて震えていました。他のクラスメートが全員もの珍しいのでしょう、バッハやモーツアルトやベートーベンの肖像画の前に群がって「こわい目つきや。」「女の人みたい髪型や。」「なんか王子様みたい。」等と口々に言い合って、笑い合っていました。「A君も写真みてみよう。」と誘ったのですが、階段の方を指さして「かえる、かえる。」と言って私の手を引っ張ります。みんなのワイワイ言う声を聞きながら「ちょっと待ってね。他のお友達に座ってもらうまで待ってね。」と言うと、少し力を抜いてくれたので、抱きしめて「ごめんね。」と言い、部屋に入ってみんなに席の指示をし、ピアノの上手なKさんにピアノを頼んで(かえるのうた)の練習を頼んでA君のもとへ急いだのですが、彼はもうクラスへ戻ってリラックスして、サザエさんの絵を描いていました。2枚の絵は全く同じで、印刷したのか?とビックリしました。「すごい!うまいなあ、沢山描いてみんなにプレゼントしてね。」と言い残して音楽へ向かいました。少々不安でしたが、他の子のことを考えると心が急ぎます。階段を上がりながら(かえるのうた)の輪唱が聞こえてビックリ。ピアノの上手なKさんに感謝!!2、3人の男の子がグェーグェーとおどけてはいましたが、涙が出るほど嬉しい時間でした。
2015年09月18日 23:32

『思い出さがし』 184・仲間づくり②

もうひとつ見えて来るものがあります。仲間外れです。いじめの根っこと言えるかも知れません。ドッジボールで外野へ回ってもなかなか自分にボールを送ってくれない。クラスメートに両手と大声を上げている時、ようやくこぼれ球がやって来て、それを必死に追いかけ、やっとゲットした時「それ、オレのボールや。」と横からむしり取ろうとする子がいます。私は笛を2回吹きます。子ども達だけで遊びの中でのゲームでは、力のある子の言動に引きずり回されているのでしょう。でも、それはどう見ても許してはならないことです。横取りした子に、それはゲームとしての正義ではないことを伝えるチャンスです。多分、ジャッジのいない遊びの中では、まかり通っていたことなのでしょう。自分の思い通りになることで自分のチームを勝利させて行くことで、常に優位に立っていた子は、口をとがらせてボールを相手に渡します。この時、その子の仲間は「どうせ、ちょろい球やし受け取って、必ず又ボール渡すし待っとれ。」という顔がいくつも見えます。黒板に向かっている時とは違った仲間のつながりが一瞬ですが見えるのです。『そうか、担任のいない所で見える遊びの姿を見つめ直すことが大切なんだ』と思った私は、長い休み時間は必ず子ども中で遊ぶことを目標にしました。砂場や鉄棒で遊ぶ子ども達、なわとび、ダイヤモンドゲーム、おしゃべり等、子ども達のいる所はとても楽しくて各人の考えや、その仲間達の広がりや深さや交流も見えて来ます。個々の良さも見える時間を今、大切にしているでしょうか。
2015年09月11日 23:57

『思い出さがし』 183・仲間づくり①

夜に虫の声が聞こえる季節になると北陸の冬は駆け足でやって来ます。子ども達の仲間とのつながりが深くなります。幼児期に心をつなぎ合わせる体験がとても大切だということを4年生を担任するとよく分かります。3、4年生はギャング時代と呼ばれるのは仲間作りの強いうねりが生まれ、親の言うことより友達の言うことを優先させるほど友達とのつながりがとても強くなります。体育の時間、ドッジボールをしたり、バスケットボールなど勝敗のはっきりするチーム対抗のゲームを見ていると子ども達のつながりがはっきり見えて来ます。先ずチームを決める時、ジャンケンの勝ち組、負け組で分かれると同じチームになれなかった子達の顔色が変わります。逆に同じチームになった子達の嬉しそうな顔。どの子が仲間としてのつながりが強いかゲームがスタートすると、もっとはっきりして来ます。ドッジボールだと外野へ回った子へ送るボールが仲間関係を知らせてくれるのです。内野へ帰ってもらいたいためにボールの方向は一定化します。敵にボールを当てて帰って来た友達と小躍りして迎える仲間達の笑顔。バスケットボールではパスをする相手を選んでいるのが、はっきりします。聞くと幼児期から家族ぐるみでキャンプに行ったり、お父さんのソフトボールの試合を応援に行った子達のつながりでした。今で言う『ママ友』『パパ友』のつながりなのでしょうか。
2015年09月04日 23:57

『思い出さがし』 182・長い8月①

8月は私の人生にとって一番長い月だった。1日に担任と別れ、6日にとんでもないバクダンが日本に落ちたことを知り、9日にはキリスト教会がもっとひどいバクダンでやられたと聞いた。11日は、朝から警報が鳴り、家族は自宅の近くにある工場の土塀にくっついて、じっとしていた。入る防空壕が家になくて、工場の裏庭に沢山の人が逃げ込んでいるのを見て、そこへ行こうとした時、B29の大きな影が工場のすぐにあった。「落とすな!落とすな!」と祈るしかなかった。低空飛行で大した場所でもないし、人影もなかったので諦めたのか立ち去って行った。そして、数分後、遠くで地響きがして黒煙があがった。列車の警笛が何度も聞こえた。人々のざわめきが伝わって来て、駅に爆弾が落ちたことを知った。この日、日本へ帰れないという予感がして、夜、ふとんの中で泣いた。12日は防火訓練の日だったので、朝から学校へ行った。夏休みだったが、みんな揃ったのは嬉しかったが、又も空襲警報で防空壕へ逃げた。学校の校庭の3分の1くらいは穴を掘り、地下室の様な空間に100名は収容できる広さだった。勿論、肩を寄せ合ってだったが。長い時間、汗びっしょりになっての壕の中は辛かった。ようやく解除の合図があって(サイレンの音)外の空気を吸った時の感動は格別だった。「生きているんだ、ぼくたち!」と叫んだ男の子がいた。と同時に、けたたましいサイレンの音。そして、不気味な黒い影。B29の来襲だった。その横に一回り小さい飛行機から小さなタマが複数で飛んで来た。逃げ遅れた先生と同級の2人が犠牲になった。学校での訓練は、その後、中止となり8月15日を迎えた。
2015年08月28日 23:57

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