『思い出さがし』 190・変わった子②
1才と9か月後に生まれた三女の頑固さは特別な気がしました。母乳だけの育ちでしたが、教員をしていた私が遠足などで授乳する時間がない時は、母親が帰って来る4時半までガンとしてミルクも番茶も受け付けず、時々泣きながら母親を待っていたそうです。何といじらしい赤ちゃんと言われましたが、その純粋な我慢強さは天性のものの様です。『無口な子ですが、自分を持った子だね』と学生時代の先生に言われました。その5年後、次男ではありますが長男の役割を持った4番目が生まれました。長女が4年生で「やったぁ、私、お嫁さんになれる!」と大喜びをしました。きっとお婿さんを迎えるイメージがあったのでしょう。4200gの大きな子でしたが、小児喘息を患い1才半から3才まで苦しみました。1才半ぐらいでヘルニアの手術を受け、1週間の入院中、休めない母親のために1人で病院のベッドにいました。それは誰も信じてくれないのですが、病院長の奥さんや私の教え子や叔母に支えられ乗り越えてくれました。病院の窓から市営バスが通るのを眺め、手にミニカーを持って、私が勤め先から帰るのを待ってくれました。「変わった子やね」と言われましたが、その子の強さに励まされ生きて来たと思っています。三男の息子も人の真似をすることが大嫌いで、いつも担任を悩ませていた様です。「パズルをしたら、どうしてもはまらない一片があるとしたら和田君です」と言われた時、なんと面白い子だろうと思った母が実は一番変わっていたのでしょうね。
2015年10月23日 23:57