『思い出さがし』 169・生と死②
敏ちゃんの死のショックを胸にしまい込むと私はよく笑う子になったらしいのです。「せっちゃんはいつもニコニコしてええなぁ。」とよく近所のおばちゃん達に言われました。悲しみを心の奥にしまい込むと反射的に笑顔が出るのでしょうか、気がつくと私はいつも心の中で敏ちゃんと会話をしていたのです。「私の先生は私と同じ名前の節子先生と言うんだよ。何だか嬉しいんだよ。」「そう、良かったね。どうしてその名前にしたのか聞いてみた?」「いやや、恥ずかしいから聞けないの。ドキドキするもん。」「そうやね。又、今度聞く日が来たらいいね。」「うん。」と、にっこりして会うという様なことが毎日あった様に思います。いつもどんな小さなことも言葉にして心の中で会話していた頃から、いつも暗くて、うつむいて下ばかり見ていた私の姿がどんどん消えていったのだと思います。敏ちゃんの絵を描き、心の中で会話することが心のステージを上げることになったのでしょうか、本当に不思議な位、敏ちゃんのは私のより身近にいたのです。2人で時間を忘れて遊んだこと、歌ったこと、れんげ畑で寝ころんだこと、この身体を触れ合った日々があったならばこそと強く思います。敏ちゃんのことを忘れずに、いつも自分の中に取り込んで会話して生きて来たことで敏ちゃんは死んではいないのだと、ずっと思っています。「せっちゃん、私はせっちゃんを通して生きてると思っているの。」久しぶりの敏ちゃんの夢の中の言葉です。
2015年05月16日 23:53