『思い出さがし』 170・生と死③
4年生になり日本は敗戦国となり、私たちは北朝鮮から引き揚げて来ました。8月、9月、10月、11月と季節の変わりの中で、草の根を食べて来ました。きょう私のとなりで大人しく眠っていた子が次の朝に冷たくなっていることが何回かありました。自分の力では、どうすることも出来ない大きな力で押しつぶされいく小さな生命と向き合う日々は敏ちゃんの死と向き合ったことで免疫が出来ていたのでしょうが、痛いほどの悲しみの中で残った家族を支えるエネルギーがありました。その母親の涙を何度も何度も拭き、その子の絵を描き続けました。私の弟と1つ違いの1年生の子だったと思いますが、河原の石を積み上げて少し高くなったと思ったら音をたてて崩れていくのを笑い声を上げて手を叩いたり、ゆっくり落ち着いて魚を岩の隅に追い込んで、いざ捕まえようとしたら逃げられて川の中で尻もちをついた絵を描いたりして思い出を言葉にする毎に、その子の母親は涙を笑顔に変えていきました。下手くそな絵をとても大切にして茶封筒の中に折りたたんで持っていて下さいました。時々出しては2人でこの時の光景を詳しく会話して泣いたり、笑ったりしました。でも、ふっと心の中に隙間ができると、そのお母さんは死ぬことを考えている様でした。「おばちゃん。」と声をかけると、ハッとして我に返り涙を拭いていました。「おばちゃん、英ちゃんの作った池へ行こう。」と誘うと嬉しそうについて来てくれました。石で四方を囲んだ30㎠の池の中にあの日の魚が泳いでいました。
2015年05月22日 23:56