学校法人 和田学園  認定こども園 青竜幼稚園

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前園長日記/和田節子ライブラリー

『思い出さがし』 81・表現会を終えて
 

年少組が賢さで勝負して来ると、年中組はお株をとられた形になり、とても厳しい現実が待っています。先生達が考える前に子ども達の中に意識が芽生えて来たのでしょう。虫博士や恐竜博士、なぞなぞ博士が生まれてきます。先生の心配をよそに、その年令の持っている発達の特徴を見事に出して自分達をアピールするのです。表現会の合奏を見ても、年少の頃とは全く予想もできない成長を見せてくれるのは、その賢さの結果でしょうね。楽器も増え、パートの意味もわかり、指導者を見て演奏することの大切さを身を持って実感しているようです。こうした賢さは、日常の中でたくさん見られます。「どうして恐竜は全滅したのか。」「人は死んだらどうなるのか。」「地球はたくさんの星の中の1つなのか。」「空気のないところでは生物は生きていけないのか。」などと質問の中身が濃くなってきます。大人でも答えられない質問が多くなるのが表現会後はっきりしてきます。今まで子どもだとばかり思っていたのに、内面が豊かになってきたのに驚きます。思いがけない成長を見せる年中組は、大人を見る目もとてもシビアで、ごまかしができません。この時期に親への不信感を持った子は、思春期までそれを引きずるのを何人も見てきました。きちんと一人の人格を持った人間として対応していくべきだと思います。でも、まだまだ子どもなので、びっくりするほど幼い面を見せることもあるので親としては難しい時期です。それは年長にも受け継がれて行きます。

2013年03月15日 14:23

『思い出さがし』 80・表現会を終えて

表現会が終わると、子ども達はひと回り大きくなって見えます。特にひよこ、ことり組は曲がかかるとどんな役でもこなします。ひよこ、ことり組が初めて単級になり、同じ年令の子だけで保育をする様になった頃から、年少組は何となく話題の外に置かれる様になったと担任は嘆く様になりました。それは、ひよこ、ことり組がとても可愛らしくて、今まで可愛らしさを誇っていた年少組の評価がぐんと下がったからです。カメラを向けてどんなアングルから撮ってもかわいいひよこ、ことり組に年少組は負けてしまいます。乳幼児がかわいいのは、神様が、親が可愛い子どもを育てようと思うことができる様にするためだということです。たしかに機嫌の良い時の乳児は誰が見ても可愛くて抱きしめたくなります。でも調子の悪い時は捨ててしまいたくなる程厄介な存在です。虐待もそんな時に起きるのでしょう。自制心のある親は、そこをしっかり乗り切り、可愛い我が子の様子をしっかり肯定し、機嫌の悪い時の我が子の受け入れを工夫するのでしょう。それが親の愛というものかも知れません。こうして幼稚園で一番可愛いかった地位を奪われた年少組は、可愛さを譲って賢さを表現するようになりました。日常保育でも、少しお兄ちゃん、お姉ちゃんぶって分別のあるところを見せています。「ここさわったら、あぶないからね。」「この色はね、むらさきって言うんだよ。」「お友だちたたいたら痛いよ。がまんしてお口で言おうね。」と顔をのぞいて説得している姿をよく見ます。

2013年03月08日 14:33

『思い出さがし』 79・表現会②

かつて自己主張を余りせず、いつもおとなしく笑っている4才の男の子がいました。とても元気なクラスなので、やりたい役があると立ち上がって「やりたい!」というのでわかり易いのです。でもやりたい割りにはやってみると意外に声がでなかったり、セリフがなかなか憶えられなくて立ち往生してしまう子がいるものです。周りの子のほうがセリフを憶えていて、その子を助けていることが続くとギブアップしてしまい、他の役をやってみたいと言う子が出て来ます。もっと早く言い出してほしいのですが、何とか励ましてその役を頑張らせるのですが、心が折れてしまっては辛い思い出になるので、子ども達にギブアップしかかっている子の思いを伝えて、役割分担を変更することもあります。お互いに納得できた時は2人共明るい表情でストーリーを楽しんでいます。こうしたことは珍しいことで、大抵の子ども達は自分で選んだ役割であれ、与えられた役割であれ、自分で理解し自己表現をして楽しんでいます。反応の良い子悪い子、関心の高い子低い子、チャレンジする力のある子ない子、様々な子が自分らしさを表出するために努力している姿は素敵です。見るからにすごいと思う表現力のある子と、控え目な表現で終わる子がいますが、表現会後の再現あそびで表現会当日の主役を超える演技をみせる子がいます。きっと遅咲きの桜なのでしょうね。それがその子の価値を認めさせることにもなり「先生、あの子すごいうまいんやぞ。」と仲間の中でも認められていくのです。いい社会人に育つ予感がします。

2013年03月01日 14:34

『思い出さがし』 78・表現会①

2月も後半に入ると春の気分になりますが寒さはまだまだです。温暖化が叫ばれて久しいのですが、確かに昔は入学式に雪が降り、祝辞を読み上げる市長代理の方の肩に、まるで桜の花びらの様に雪が降り注いで、出席者が拍手したことがありました。1年生を担任することになった私は、手を広げて雪片を受けとめようとする子の肩に手を置きながら、美しい風景だなと思ったことを思い出します。その頃から見ると雪も少なく、春の訪れは早くなった様にも思われますが、三寒四温という季節の表現会は天候が不安定で子ども達の体調が心配です。近年は、ノロウイルスやインフルエンザの流行に二波三波とうねりがあり厳重な注意が必要です。こうした中での表現会の練習は、当日のクライマックスを迎える様なペース配分が必要です。余りにも早く出来上がると、ピークを過ぎた子ども達は演ずる興味を失い、やる気がなくなります。ペースが遅いと、当日子ども達の実力を開花できません。日々の練習は、常に子ども達の体調ややる気を観察しながら進めていかなくてはならないのです。しかし個人差があり、セリフや踊りをすぐ憶える子と何回もくり返してじっくり自分のものにしていく子とでは、全体のバランスを考えて取り組まないと、作品のテーマが伝わりにくくなります。一人ひとりが輝くためにどうすれば良いか指導者のセンスが問われるのです。

2013年02月22日 14:45

『思い出さがし』 77・雪あそび②

体験の積み上げは人格形成にも是非必要なことです。特に家庭で幼小年期に継続して体験したことは、体の一部となって生涯を支え続けるものです。人間が歩くことを手に入れて1年位で歩ける様になるのですが、本人は何度も何度もつかまり立ちしては尻もちをつき、わんわん泣いてまた尻もちをつき、と失敗を何度もくり返して一歩すら歩けるようになるのだと思います。伸びようとする内からの要求と、まわりの励ましや賞賛に助けらえて歩くことが上手になった人間は、成長するとそれはもう当たり前のことになり誰も褒めてはくれません。このように、体験の多いことで子ども達は成長し上手になり当たり前になるのです。2才頃からパパの背におんぶされて山スキーを楽しんだ親子がいます。パパは山スキーが大好きで、女の子が生まれた時から雪に触れるチャンスを生かして、小さな娘さんを山スキーに連れ出しておられました。山から来た年賀状もありました。彼女は幼児期、正式のスキー用品を揃えてパパと共に山スキーを楽しみ、中学高校とスキー選手となり、仕事も関係する会社とつながり、趣味と仕事を両立させています。継続は力なりと言いますが、小さな時期にコツコツとため込んだものは確実に力になります。雨水の一滴一滴が長年の間に固い石に立派な穴をあけていくのを見ている様です。雪あそびでの体験は、きっと自然の恵みと力とに感じる心を作ると同時に、雪との関係で身についた技術が思い出と共にその人の人生を支え続けるのです。

2013年02月15日 14:46

『思い出さがし』 76・雪あそび①

「今年は雪あそびをする日がなくてとても残念です。」と子ども達に話したところ「よかった。」と胸の前に手を合わせる子が2、3人いてびっくりしました。他の子は「雪だるま作れん。」とか「雪合戦できん。」「そりにも乗れん。」と言って外を眺めてうらめしそうにしているのですが、女の子2人と男の子1人は「冷たいし、寒いし、いややあ、ゲームの方が楽しいものね。」と顔を見合わせています。「ゲームも楽しいけど雪玉作るのが面白いよな。」「うん、雪だるまも目や口にみかんをくっつけたら楽しいよ。」「かまくらできる程降ってくるといいがにね。」と目をキラキラさせています。きっと楽しい体験があるのでしょう。共通のイメージを持って話に花が咲いています。「うちのねこ、バアちゃんのおひざでいつも寝とるよ。」「ぼくんちの犬、しっぽふって公園の雪の上走っとるよ。嬉しそうやけど、口から白いけむりみたいなもんが出とるしきっと寒いと思うけどな。」「私のうちの犬なんか、雪食べてんよ。」「ヘエー、おれも新しい雪ちょっとだけ食べたことあるよ。シャーベットみたいやったわ。」「ぼく、雪の上にデーンと倒れたけど痛くなかったよ。人間の形できたよ。 」「雪玉作って投げたら、雪の中に穴開いて何かの足跡みたいになったよ。」「お兄ちゃんと雪の上でサッカーしたよ。ボールなんも転がらんし、すぐ蹴ったけど遠くまで飛ばんしすごーい疲れたし、雪の上で寝ころがったりしたよ。楽しかったよ。」体験話は尽きません。

2013年02月08日 15:27

『思い出さがし』 75・お年玉②

時代が違ったとはいえ昔のお年玉はとても楽しいゲームをしているようでした。ガラス箱から手づかみをした時も、1人3回やった上で一番多かったのをあげようと言われて、みんなは色々工夫してつかみ取りを楽しみました。そして、紙芝居のおじさんがやって来るのを楽しみに待ったものです。でも、近頃のお年玉はどうなっているのでしょう。案外ご両親の方で管理しているのでしょうね。今年51才になった昔の教え子が高校2年の時、事情があって私の家で生活することになりました。弁護士を目指して頑張っている子なので成績は抜群でした。家計は苦しく、両親の稼ぎだけでは厳しいものがありました。そのため、彼は常に質素で贅沢をしない青年でした。部活費はあるのかと心配したところ「先生、大丈夫。ボク1年生の時から貯金してあるし、お手伝いしたり、お年玉を叔父さん達からもらったりしたものもみんな通帳に入っているから、当分は困らないよ。」とのことでした。そしてその通帳を見せてくれました。7、8冊の通帳でした。きちんと番号が打ってあり、中を見ると細かい数字は1円から1.000円までの単位で入っていました。お年玉100円、30円、500円と記入されているのを見ると、収入があるとすぐに郵便局へ行ったのでしょうね。高校生になると年末年始に大きな金額が入っており、きっとアルバイトだったのでしょう。500円が最高のお年玉だったのがわかって、厳しい生活の中を生きてきた青年が愛おしくなったものです。自分でお年玉を管理する子もきっと現代にもいるのでしょうね。

2013年02月01日 15:29

『思い出さがし』 74・お年玉①

始業式にお年玉の話をしました。そのためでしょうか、子ども達は「園長先生、ボク10.000円札もらった。」「ぼくも。」「わたしは1.000円もらった。」「わたしはお姉ちゃん達みんなで5.000円。」と様々な声が聞こえてきます。今も昔もお年玉の楽しみは格別なのでしょうか。時代と共に金額も変化したのでしょうか。あるテレビでは、小学生の平均は5.000円。中学生は10.000円ということでしたが、幼児は1.000円以上だろうとのことでした。これはお年玉を出す親や大人の話のようでしたが皆さんはどうでしょうか。私の3才頃は父方も母方もおじいちゃんが亡くなられていたので、親類の長老のおじいちゃんの家へ新年のご挨拶に伺ってお年玉を頂く習慣がありました。口の小さいガラスの箱にたくさんの小銭は入っていました。長老の方が一年間にためて下さったお金でした。今の様に500円玉ではなく、1銭5銭といった貨幣もあったようです。大人の人が手を入れると入るのですが、お金をつかんで小さな口から手を出そうとするとひっかかって出ません。つかんだ貨幣をできるだけ少なくすると手がとれるのです。おじいさんは笑いながらみんながつかみ出す様子をじっと見つめていました。時々にこにこして応援もしました。でも助けてはくれません。私が手を入れると「よくばりをせず、指の間にはさんで出してみなさい。」と小さい声で教えてくれた年は一番たくさんのお年玉になりました。次の年から小ビンの口が大きくなり嬉しかったことを思い出します。

2013年01月29日 22:36

『思い出さがし』 73・年賀状を読み終えて

毎年1月元日にどっさり届けられる年賀状を読むのが楽しみです。今年は600枚を超えましたが、ご不幸の通知が30通ぐらいあって、今年はお年寄りにとっては辛い冬だったのかなと思いました。私も年々体力のなくなるのを実感しています。ビンのフタを空けるのに力が入らず道具を使ったり、若い頃必要としなかったものを頼りにする様になりました。とても残念だと思っていると、年を重ねた方からの年賀状にも同じ様なことが記されていて、何となくほっとしたりします。悲しいのは、若い人が亡くなったというお便りや病気になったりという話はショックで、特に社会人になって喜んでいたのに急に原因不明の病いに倒れたとか、うつ病になったという便りには、返事の書き方に困って心が重くなります。出会いが特殊だった人からのSOSとも思える賀状もあり、人の世の切なさを感じます。でも今年はこうした便りが少なく、就活のこと、結婚したこと、出産したことのお便りが多くて幸せな思いになりました。特に当園の先生だった人からの写真入りの幸せな賀状は嬉しいものです。何度も読み返してお子さんの写真にチューをしたりしました。親バカだなあと思いますが、孫が誕生した様に嬉しくなるのは幸せなことです。700枚近くの年賀状を書き終えると右手首が痛くなりますが、1枚書くたびに相手の幼い頃の顔や声を思い出すと懐かしくて会いたくなります。弁護士になった子や、子どもが手を離れて保育士さんに戻った方や、社長代理になった青年の賀状を何度も読み返して、皆さんの今年一年の幸せを祈りました 2013年01月18日 22:37

2013年01月18日 22:37

『思い出さがし』 72・冬山でねむる

冬山登山で沢山の方が山で死亡したニュースを目にし思い出すことがあります。中学2年生の時の山登りの大好きな男の子に出会いました。色白で、山のことを語る時は少し顔がピンク色に変わるかわいい子でした。成績も良いので、彼に憧れる女の子が何人もいて、クラスの雰囲気は華やいでいました。彼が山の中で見つけた小さな花や珍しい木の実のことを話すのを聞いて「この人は本当に山が好きなんだな。」と感心していたのは私だけでなく、男の子の中には「お前、山のことになったら時間を忘れるんやな。」とじみじみ言う子がいて楽しいクラスでした。大学生になった頃、たしか日本アルプスのどこかの山で彼が遭難したという知らせが入り、私たちは連絡を取り合って彼の家を訪ねました。家の中はひっそりとして静かでした。母子家庭で育っていたので、お母さんの逞しさは評判でした。でも、どんなに落ち込んでおられることだろうと恐る恐る声をかけたところ、元気な声が返ってきました。「ありがとう。あんた達、あの子は山が好きでいつも私に言ってました。もし僕が遭難しても決して慌てず一週間待ってほしい。一週間の間に帰って来なかったら葬儀を出してもいいよ。どうか捜さないでください。僕はずっと山に抱かれていたいから、って。だからみなさんに捜索しないでほしいとお願いしているのです。」「あの子は大好きな山のふところで静かに眠っていると思って下さい。」と何度も言われました。そして、今も山のふところで眠っているのです。

2013年01月11日 22:54

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