学校法人 和田学園  認定こども園 青竜幼稚園

感謝・感動・そして育ち合いを大切に…。人の温かさにほっとする幼稚園。

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前園長日記/和田節子ライブラリー

『思い出さがし』 41・父の日を前にして

父の日のプレゼント作りが小学校低学年で盛んな頃がありました。年に一度も学校を訪ねたことも参観に来たこともないお父さんの多い時代に、母子家庭の子が一人いた年がありました。他のクラスには誰もいなかったので、あまり問題にならなかったのですが、私のクラスの子はとても明るくて、どんなことにも積極的で、自分の非はあっさりと認める、とても好感のもてる2年生でした。でも、学校内ではやはり父のいない母子家庭の子への配慮が必要だから、プレゼント作りはしない方がいいのではという意見が多かったのです。子どもに直接聞くのは失礼だという声もあり、話し合いはなかなか進みませんでした。でも私は子どもの声を聞くことは大切だと思いました。それには、聞き易い子とそうでない子、それを聞き出すだけの信頼関係のあるなしが大きく影響するのではと思いながら、次回の話し合いまで考えることで話し合いは終わりました。父親のいない子という特別な目でその子を見たことがなかったので、私はストレートに聞いてみました。「信太君のお父さんのことについて聞いてもいいか?」と言うと「うん、いいよ。お父さんはねぼくの3才の時、工場の機械に巻き込まれて死んだの。」と淡々と話してくれたのです。「そう、ごめんね。悲しいこと聞いちゃって。」と言うと「全然平気だよ。ボク小さかったからお父さんの肩車から見た公園のことしか覚えていないんだ。でもね、写真があるから大丈夫。おじいちゃんも隣の家にいるし、大きくなったらボクがお父さんになるんだもの。ボクお父さんのタマゴ!」そう言って明るく笑ったのです。2回目の話し合いでそのことを話すと「そうだ、あるがままをしっかり受け止める子を応援しよう。」ということになりました。今はどうでしょうか。

2012年06月08日 13:07

『思い出さがし』 40・母の日の思い出

日本人は流行に弱くて、生活行事の中に外国からのものがたくさんあります。お正月、豆まき、女の子のひなまつり、男の子の端午の節句等、残っている生活行事はたくさんありますが、地方によってはまだまだあるようです。でも、父の日母の日などは外国から入って来た行事で、明治、大正の方には親しみのないものなのでしょう。私が子どもの頃は、あまり実践した経験はありません。でも、私が母となってからはどの子からも嬉しいプレゼントとメッセージをもらい、ウルウルになった日もありました。5人の子ども達が小学校4年生頃まで、工夫を凝らしたプレゼントを持って来てくれました。特に幼稚園のプレゼントはいつも嬉しいものでした。我が家の5番目の息子は、それに加えて朝からクッキーを焼いたり、ホットケーキを焼いたり、後片付けをしたり、食後のフルーツをナイフで皮をむいたりしてくれ、忙しい思いをしているようでした。同じ日息子の友だちがやって来て、一緒にホットケーキを食べていましたが、ホットケーキを食べながらポロポロ涙を流し始めたのです。息子が心配して静かに横に座わるとポツンと一言「お母さんが帰って来ない。」と言ったのです。息子は固まってしまい、私の方を向いて困った顔をしました。私も何と言っていいのかわからず「じゃ、晩ご飯の食べて行くといいよ。」と言いましたが何とも歯切れの悪い言葉かけになってしまいました。母子家庭のお子さんだったので言葉が見つからず私も困りました。でも、小さい時から気配りをして来たのでしょう。「おばちゃん、おいしかった。ありがとう。」とにっこり。晩ご飯もしっかり食べて、息子と枕を並べて眠っていました。

2012年06月01日 13:08

『思い出さがし』 39・ぼくのお母さんをとりかえて

どんなに辛い関係の中でも、子どもは親をかばうものです。かつて、どんなに熱があっても幼稚園へ行きたいと泣いていた女の子がいました。おたふく風邪になった時、幼稚園に電話をかけて来て「私を連れに来てください。助けて!」と言った子でさえ「そんなにイヤなら園長先生の家の子になるか。きょうから一緒に寝ようね。」と言うと少し考えてから「やっぱり止めるわ。夜ママひとりになるとかわいそうやし。」と言ってママの所へ帰って行きました。でも一方で、静かでお利口で誰からもいい子だと言われていたS君は、時々ぶつぶつ独り言を言って暗い表情を見せる年長さんでした。礼儀正しいママと物わかりの良いパパの間に生まれた男の子で、上に大きな姉のいるハンサムな子でした。園庭でもブランコの順番をしっかり守って30数えると、しっかり交代する素直さがあり、決しておふざけをしない子でした。秋も深まったある寒い日、少しトイレを失敗してしまいました。もじもじと園長室の前を通りかかりました。旧の職員室は園長室の前を通った奥にあったので気になって声をかけたところ、ワッと泣き出しトイレの失敗を話してくれました。「大丈夫!先生なんか2年生になっても失敗したよ。今日は寒いもの。我慢しとったんやね。」とパンツを替えてやると泣きじゃくりながら「先生、ぼくのお母さんを取り替えて。」と言ったのです。「え?」「だって失敗したから叩かれるもん。もういやや。毎日ビクビクしとるのイヤや!」「S君えらい!ちゃんとイヤと言えたじゃない。お母さんに言ってみよう!!」こんなエネルギーが親を育てるのですね。その後お母さんが変わりました。

2012年05月25日 13:09

『思い出さがし』 38・事実を受け止めよう④

参観のお母さん方は子ども達が本音を言う姿を見て苦笑されたり、微笑んだり、そこまで言わなくてもといった表情が見えました。でも、子ども達は真剣です。大介くんが「やっぱり玲子みたいに、チカちゃんが本当に信じられる人にならんとだめやな。」と言うと、みんな大きく頷いていました。「信じてくれたら本当の姿を見せることができるんやね。」という子もいて、参観者から小さな拍手が起こりました。「みんな、今日はとても嬉しかったよ。大人になったら忘れてしまうことを、ちゃんと自分のことばで話してくれて感心しました。本当に信じ合える関係ができるとありのままの自分を見せることができるんだということがよくわかりました。チカちゃんが玲子さんにありのままの姿を見せる理由がはっきりして感動しました。ありのままを受け止めて生きることのできる世界を大切にしたいと思います。こんなみなさんに育てて下さったお家の人たちに感謝します。みんなにありがとう。」言い終える時、終業ベルが鳴りました。張りつめた空気がほぐれると「先生。トイレ行かせてください。」という子がたくさんいて、お母さん方から笑い声が聞こえて来ました。この授業を境にして、チカちゃんのお父さんは考えを深められたようです。チカちゃんのアザを事実として受け止めることを家族で話し合い、力を合わせて他人の非情の目やことばに家族で対応し、チカちゃんを支えたそうです。ポニーテールのチカちゃんを支えた家族の愛は本物の優しさだったのでしょうね。

2012年05月18日 13:09

『思い出さがし』 37・事実を受け止める③

「本物の優しさ」とは何だろうと考え込む子ども達の真剣な表情は美しく見えました。「はい」と小さい声で手を挙げたのは、チカちゃんの大の仲良しの玲子さんでした。「私が幼稚園の時、足の不自由な子がいました。片方の足が少し短いので、ピョコンピョコンとかたがって走るのです。でもとてもがんばり屋さんで、みんなから好かれていました。小さい子がその子の歩くまねをして笑っても平気でした。みんなは小さい子のことを(そんなまねする子は悪い子だよ)と注意すると足の不自由な子は(いいよいいよ。きみ、マネッこは上手やね)と言って平気でした。私はびっくりしました。本当に強い子なんや、すごい!と思いました。」みんなは静かに聞いていました。するとチカちゃんのお兄ちゃんが「玲子さんは、いつもぼくの妹の味方をしてくれる優しい子です。チカが首のあざを気にしているのでいつも助けてもらっています。だから、チカは玲子さんの前では首のあざを隠したりはしません。玲子さんのお友だちの様に強い子になるためには、あざを隠さなくなる様な仲良しになることが大事だと思います。一人では強くなれません。」と最後は涙声になりました。すると、いつもすぐスネたり怒ったりする大介くんは「みんな、ぼく黙っとったけど、おへその横に真っ黒な大きいあざがあるんや。首でなくて良かったと思ったのは悪かったんやなと今思っとる。チカちゃんに謝りたい。」としみじみ話しかけてくれました。「オレ、出ベソや。」「わたしも。」「わたし高い所ダメや。」「わたし狭い所ダメや。」「ぼく、おねしょしとる。」と口々に人に言えない欠点を語り始めました。みんな語り終えると何だかすっきりした顔で、本当のことが言えてすっきりしたと誰言うともなく話し出しました(続く) 年05月11日 13:15

2012年05月11日 13:15

『思い出さがし』 36・事実を受け止める②

美しい目をキラキラさせて、長い髪の毛をポニーテールにした女の子チカちゃんは、私の担任の子になっていました。1年間で大きなドラマがあったことを知りました。お父さんは1年前初めて上の子の授業参観で道徳の授業を見て、子ども達の深い考えに感銘を受けたと話して下さいました。道徳ってどんな授業だろうと思って、母親に代わって見に来て下さったということでした。道徳の教科書もない時代で、担任が教材を見つけて、毎回子ども達と話し合うことの多い授業でした。私は弟の友達が原爆病で検査入院となったことをきっかけに、広島で原子爆弾を受けた子ども達のその後の記事やエッセイをいくつか読んでいて、ある女子学生が被爆して右腕がケロイド状態になり、それを隠すために夏でも長袖を着て過ごすのを見た級友たちが、女子全員、真夏でも長い袖の服を着て学校へ来ているという記事を見つけました。私は迷うことなくこの記事を教材として取り上げ話し合いをしました。私が一読すると「みんな優しい人ばっかりやね。」という声があがり、みんな感心した様です。その中に一人「男の子はどうしとったんやとね。」とつぶやく子がいました。「男は暑いの我慢できんしや。」と言い出すと、次々「それはおかしい。」「みんな仲間なんに。」「私がもしその女の子やったら苦しい。」「なんで?」「だって自分のためにみんなが我慢していると思ったら辛いやろう。」「ほうやな。」「う~ん。みんな本当に優しいがかな。」全員考え込みました。緊張した静かな時間が流れました。「みんな素晴らしい。本物の優しさって何だろうと考えているのは素敵です。」私も口をはさみました。(続く)

2012年05月07日 13:15

『思い出さがし』 35・事実を受け止める①

小学3年生を担任していた頃、その男の子の妹に幼稚園の年長組になる女の子がいました。とても美しい目をした口元のかわいい子でした。髪の毛が長くていつも首がしっかり隠れていたのを思い出します。肩から胸元にかかる長い髪は、夏になると暑苦しい感じがしましたが、女の子らしくて人気者だった様です。3年生になって最初の授業参観日に妹の姿が見えたので、手を振ると恥ずかしそうに首をかしげて小さく手を振ってくれました。授業が始まると、お母さん達の化粧品の香りが教室にいっぱい流れて、男の子達が窓を開け始めました。外は風が強くて春の嵐の様でした。窓際に立っていた女の子は強い風に吹かれて髪の毛が乱れ、あわてて両手で髪を抑えていました。その時何人かの子ども達は見たのです。女の子の首半分に赤い大きなアザがあるのを。「チカちゃん首どうしたん?」と小声で話しかける子がいたので、私は声を上げた子に質問をしながら授業を進めました。チカちゃんと呼ばれた女の子は黙って教室から廊下に出て行きました。泣いている様でした。その日はお父さんが参観に参加されておられ、真剣に授業を見ておられました。授業は道徳で原爆の後遺症でケロイドが右手全体に広がった女の子の話だったと思います。クラス全員が夏でも長袖の服を着ていたという話しでした。授業で、それは優しさではない、ケロイドをみんなでちゃんと受け止めて差別をしないという考えを深める授業でした。チカちゃんは次の年、長い髪を束ねて首のアザをはっきり見せていました。(続く)

2012年04月27日 13:16

『思い出さがし』 34・小さな生命

春になり、雪どけの水で川の流れが豊かになると思い出すことがあります。それは、川のふちで子犬が数匹投げ捨てられていたことです。学校の帰りにそれを見つけた娘が「待って!」と言って駆け寄り、最後に残った子犬を持って来ました。白い犬で顔や横腹に黒いブチのあるかわいい犬でした。廊下に置くと、足元がすべって「ボコ」とアゴを打ちつけるので大笑いをしました。末の息子が大変かわいがって一緒に寝る夜もありました。まだまだ母親のおっぱいが必要な子犬でしたので、毎日ミルクを飲ませ抱っこして大切に育てました。もう一匹ポコという名のメス犬がいたので、ブチのある子犬はブッチーと名付けられました。娘は時々川の中を流されて行った子犬のことを思って泣いていましたが、みんなに可愛がられてどんどん大きくなっていきました。時々ふとんの中でおもらしをするブッチーを息子はかばって「ぼくがおねしょしたんや。」と言ったりして家族からかわれたのも懐かしい思い出です。この頃新聞に悲しい記事が載りました。確か西日本の方だったと思いますが、子犬を親にかくれて飼っていた小学4年生の男の子が、飼っているのを母親に見つけられてしまいました。川へ捨てに行った母親の様子を偶然下校時に見つけた4年生の息子は、子犬を助けようと川へ飛び込み水死してしまったという記事でした。ショックでした。私の息子はブッチーを撫でながら「このお母さん、一生苦しい毎日が続くんやな。」とつぶやいていたのが心に残ります。

2012年04月20日 13:17

『思い出さがし』 33・桜の花に思う

もう30年も前の4月、桜の花びらが吹雪の様に舞い散る頃、年少組はあすなろ公園に花見に出かけました。しっかり手をつないで、わずかな道を歩くのも大変でした。2人の先生が列の前後について、数10m歩くのに5分程かかってすぐ隣の公園で桜の花びらが散るのを追いかけていました。キャーキャー笑いながら両手を広げて受け止めていたのです。中には地面に落ちた花びらをじっと見つめている子もいましたが、ほとんどの子は踊る様に花びらを追いかけていました。地面が淡いピンク色に染まっていくのをじっと眺めていた男の子が、そっと大事そうに両手で花びらをすくいポケットに入れていました。ポケットがいっぱいになると、ポンポンと上から叩いて満足そうに大息をつき、みんなと同じ様に追いかけっこをして楽しんでいました。ほんの短い時間でしたが「お部屋に帰るよ」という先生の声を聞いて、みんな「ハーイ」と集まり、来た時より上手に手をつないで園へ帰って来ました。玄関で「おかえりなさい」と迎える私に「ただいま」と元気な返事をして、いい顔で教室へ帰って行く子ども達の一番後ろから、さっきポケットいっぱいに花びらを入れた子が私に「先生、おめめつむって。」と言って、そっと一枚の花びらをプレゼントしてくれました。幸せでした。その次の朝、送って来られた彼のお母さんが「先生、昨日私は幸せでした。私達の結婚記念日を憶えていた息子が、主人と私に桜の花びらの花吹雪をかけてくれたのです。おめでとうと言って。」そのお母さんの美しい涙が、桜の花びらと共に思い出されます。

2012年04月13日 13:18

『思い出さがし』 32・新年度を迎えて

平成24年度が始まりました。平成時代に生まれた子がもう24才になるのです。歳月の早さに驚きながらまわりを見つめると、時代を背負っている人が多いのに気付きます。幼児期の話をした時すぐ話に乗って来る人は、やはりその時代の人です。近くの神社で遊んだ、川で魚をとった、山で栗拾いをした、道路でけんぱをした、ドッチボールをしたといったことはもう昔のことで、今は危険がいっぱいで昔話になってしまいました。先日6年生を終えた子が数人顔を出して懐かしそうに園内をめぐり、ホールで園児達と出会った時何やら会話をしていた様ですが、そのうち6年生がやって来て「この子達のいうこと何もわからん。テレビのヒーローのことなんやけど、ぼくキャラクターの名前についていけんわ。」と悲鳴をあげていました。確かにウルトラマンしか知らない私にとっては、ゴーカイジャー、シンケンジャーなどと言われてもついていけません。6年生の子も「オレ、年とったんやな。」と苦笑いをしていました。新学期が始まるとまるで異星人の様な幼な子がたくさんやって来ます。カタカナのならんだキャラクターをいっぱい口走って相手をしてほしいとやって来ます。私達の子どもの頃は時間がゆっくり流れていた様に思うのですが、今の時代パソコンゲームでパッパッと反応する子ども達が多くなり、じっくり考えたり話したりする子が少なくなって来た様に思います。新しい時代にあってもじっくり考え、しっかり聞き、わかりやすく話すことは、生活の根っこになります。新しい子ども達とゆったり付き合いたい新学期です。

2012年04月06日 13:27

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