学校法人 和田学園  認定こども園 青竜幼稚園

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前園長日記/和田節子ライブラリー

『思い出さがし』 71・お正月のあそび

子どもの頃、畳を叩いて大掃除を済ませると何となくほっとしてお正月気分が盛り上がります。仕事人間の父親が家にいるのが何だか不思議で、チラチラと大掃除を手伝う父親を目で追いかけました。神棚や仏壇の掃除をマスクをかけて頑張っている姿を見て、今度はいつまで家にいてくれるのかなあと少し心細くなったりもしました。元旦は和服を着ておめでとうの挨拶を交わし、父からお年玉をもらい仏前に参るといった一連の流れが終わると、お雑煮を食べてくつろいだ後、お正月の遊びが始まりました。カルタ取りは犬棒カルタに決まっており、父の読み札を読み上げる力強い声で一年が始まるのでした。「2階から目薬」「ろんよりしょうこ」など意味のわからない言葉を覚えて手に入れたカルタの札を数える時のわくわく感を忘れません。新しいカルタをおばさんにプレゼントされた時のわかりやすい文章がとても新鮮で「あひるのかあさんがあがあがあ」「かえるぴょんぴょんやなぎのき」「さくらふぶきのすみだがわ」などかすかに覚えていますが、次々に出て来る新カルタと混同してはっきり記憶に残っていません。一番楽しかったのは福笑いで、とんでもない顔の福の神に大笑いをしたものです。その時の父親の笑顔は私の大きな財産になりました。忙しい父のめったに見ることのできない笑顔は、今も心の中で生きています。

2013年01月04日 22:56

『思い出さがし』 70・もういくつねると②

お母さんが仕事を持つと、その家庭のリズムは大きく変わります。まず時間的なゆとりがなくなるので、会話は必要最低限の数になります。そして「早く」という言葉が終日続きます。今まで主婦として家の中をできるだけ美しくしようと思っていた母親にとっては、食事と洗濯で手一杯になり見える所だけの掃除で済ますことが多くなりました。子どもにとって一番の苦痛は、今までの様に色んな話を聞いてくれない忙しい母の姿を見ることだった様です。笑顔のなくなった母のことをいつも「ママは笑わんくなった。」悲しそうにつぶやいていました。やがて父親は事故の後遺症のため実家へ帰ることになったのです。母は生活保護を求めて頼みましたが、父親の実家が資産家だということで願いは叶わず、女手一つで働き続けることになりました。そんな母に手を差し伸べたのは新興宗教でした。その関係者の方の尽力で、フルタイムで働く所ができて、お正月一日休んだだけで冬休みは一日もありません。その間彼は我が家でお正月を過ごし、新学期始業式に自分の家に帰りました。お正月のおせちや煮物をもう処分しようとしたところ、息子の友人の彼は「おばちゃん、これぼくのお母さんに食べさせてやりたいんやけど持って帰っていい?」ともじもじして言い出したのです。「煮直してあるから大丈夫だけど、じゃ箱に詰め直すから持っていってね。」と言うとパッと顔が輝いて、体調が悪いお母さんのもとへ走って行きました。

2012年12月28日 23:01

『思い出さがし』 69・もういくつねると①

ジングルベルの歌が聞こえて来ると、後を追っかける様に「もういくつねるとお正月」という歌が聞こえて来ます。ジングルベルが聞こえるのはそんなに昔からではありませんでしたが、時代の流れはどんどんクリスマスの行事に力を入れる様になりました。我が家では、ジングルベルや聖夜を歌うことはなかったので、いつも「もういくつねるとお正月」をよく歌いました。そしてお正月はどんな遊びをするか子ども達が話し合っているのを聞いていたような気がします。そんな時、まわりの友人の中にお父さんが入院され、淋しい思いをしている子がいました。「ぼくのパパ、お正月にお家帰れんかな。一緒にカルタしたいんだけど。」と言っているのを聞いて「お母さん、あの子、ぼくんちへ呼んでもいい?」と三男に言われて「一年生になると他人の気持ちがわかるんだ。」と感心しました。そして冬休みが始まると早速家へ連れて来たのです。三食をきちんと食べて、お風呂に入って8時頃帰って行きました。母親が父親の分も働くことになり帰る時刻が遅くなったのです。毎日息子と遊んで三食食べて、お風呂に入る日がお正月過ぎまで続きました。土日は泊ってもいいよと言うと、遠慮なく泊ることも出来るようになりました。私も遠慮なく用事を言いつけたり、仕事を頼んだりしました。「もういくつねるとお正月」と歌いながら、カルタやゲームを楽しむようになりました。しかし、父親は退院後も働くことができず、母親の苦労は増えるばかりだったのです。

2012年12月21日 23:02

『思い出さがし』 68・雪の思い出②

昭和56年の大雪は、雪の量より寒さに悩まされました。あちこちで路面が凍って車が立ち往生し、車から出ようとしたらドアが凍って開かなくなる現象がいたる所でおきました。ミニバスの扉が全て開かなくなり、車の中に積んであった水を流したらどうにか開いたので、子どもを降ろして玄関まで連れていったところ、「先生、大変でしょう、お湯を沸かしておきましたから使ってください。」と魔法瓶を頂きました。停車しているミニバスのドアを開けようとしましたがビクともしません。早速頂いた魔法瓶のフチを開けてドアをスライドする部分にまきました。白い湯気が上がってドアはすぐ開くと思ったのですがビクともしません。熱いお湯をかけたので、その水分が蒸発する時にまわりの熱を奪ってしまうのです。その分より冷えてしまったのでしょう。中のやかんの水をスライドの所にまいてくれる様に年長の男の子に頼むと「やっぱり水の方がいいよってパパが言っとったもん。」と言って実施してくれました。力一杯ひっぱると、重い音をたててドアが開きました。運転席も開かず乗務していた私も中へ入れない程気温が下がっていた冬は何度もそんな日がありました。やっとドアを開けて用をすませて来ると、すっかり氷ついてドアの開かなくなった車を何台も見て、園の前でドアの開かない車に井戸水を渡した思い出があります。最近そんなことはあまりありませんが、気象関係は予報が難しく、どんなことがあるかしっかりシュミレーションしておく必要があるのでしょう。今年がそんな年になりませんようにと祈るばかりです。

2012年12月14日 23:06

『思い出さがし』 67・雪の思い出①

雪国にいると雪の話題は尽きることがありません。特に近年は暖冬が当たり前でそれに慣れてしまったので、少し積もると大騒ぎになります。それだけ社会全体が車社会になり、流通も含めて経済に及ぼす影響は大きくて、社会の機能が止まってしまうことが多くなりました。昭和38年の豪雪、56年の大雪は大変でした。38豪雪と言われた年は、ひと晩で1mを超える雪の中で生活する人もいました。学校も新年の会を中止しました。冬休みの日直に当たった先生は、交通機関も動かず歩いて学校へ通うため、朝6時に出て道なき道を一歩一歩歩くので、学校到着は11時になることが続きました。そこで学校に近い先生が代わって日直をしました。みんなで手分けしてできるだけ学校をあけない様に工夫をしたのです。学校で日直をしていると、除雪した雪のやり場をなくした家々の人は、みかん箱を利用して、作った竹のスキーと組み合わせた木箱に除雪した雪を一杯に盛り上げて、学校の運動場に運び入れていました。水洗便所のなかった時代なので、トイレの汚物も樽に入れ運動場へ運び込んでいました。その上、生ゴミで家の中があふれ出すと、それも箱やビニール袋に入れて運動場に運び込まれました。3月に入るとさすがに雪は解け始めて、残った汚物やゴミはすごい臭いを発し、町中がゴミの臭いでマスクが必要になった日もありました。市の清掃車が運動場を夜を徹して美しくして下さったことに、文明国としての誇りを感じました。

2012年12月07日 23:07

『思い出さがし』 66・雷のこわさ

冬の雷はとてもコワイという思い出があります。まだ金沢市内に市電が通っていた頃、真っ黒な空が鋭い光でさえぎられる様にふるえた日のことです。イナビカリと同時にドンとカミナリが落ちたのです。市電の電線の上の様に見えました。丁度電車が止まって出口から傘をさして降りようとした中年の男性が、10m近くも投げ出されるのが私の部屋から見えました。電車の中から運転手さんがゴム手袋をはめて男性に近づきました。長靴の先から煙の様なものが見えました。激しい雨に叩かれていた男の人がフラフラと立ち上がり、運転手さんにもたれかかりました。ゴム手袋でしっかり抱えていた運転手さんが少しよろめいていると、2人の間に水けむりの様なものが立ち上って消えて行きました。時間にしたら2・3分のことでしょうが、私には1時間も過ぎたのではと思えました。翌日の新聞には、男の人が長靴を履いていたこと、運転手さんがゴム手袋を持っていたことが幸いして、生命が守られたと結んでいました。水しぶきと水けむり、そして投げ出された人間の身体と2人のまとわりつく様な影法師が、いつまでも私のまぶたに焼きついて離れませんでした。やがて大雨があられに変わり、次の日はチラチラ白雪が降りました。冬のカミナリの恐怖は、まだ小学生だった私にとっては忘れることのできない体験として残り、冬のカミナリは今も苦手です。あの時の中年の男性は父の知人でもあり、煙を出した長靴がいつもその方の玄関にお守りとして飾ってあったと言うことです。 2012年12月03日 10:05

2012年12月03日 10:05

『思い出さがし』 65・子どもの素足

11月も後半に入ると、雷鳴がとどろきアラレが窓をたたいて寒さが身にしみる日が多くなります。近くの山の頂上が白くなり始めると、冬将軍はかけ足でやって来ます。こんな冷たい風の吹く日でも、小さな子は靴下を脱いで素足でいることを好む子がいます。我が家の三女も幼稚園から帰るとすぐに靴下を脱ぎ、素足でペタペタと廊下を走り回ります。真っ赤な足が痛々しいので触ってみると、やはり氷の様に冷たいのです。靴下を履かせて言い聞かせると「わかった。」と頷くのですが、3分もするとまた素足で廊下を走っています。「どうして靴下がいやなの。」と聞くと「すべって危ないから。」と言います。「じゃスリッパを履きなさい。」と言うと「だって早く歩けないもん。」と言います。「頭寒足熱といって足を温めないと寒くて風邪ひくよ。」と言うと「だって裸足だとしっかり足を踏みしめられるから安心して走れるもん。」と口をとがらせます。「じゃ、冷たくて辛かったらすぐ履きなさい。」と伝えると納得して遊び出します。畳の上ではそんなに心配しないのですが、タイルや板の間は冷たいはずです。長女は靴下大好きで、いつもこたつの番人でしたが、三女は真冬も素足で家中を歩き回っていました。不思議なことに、長女はよく風邪をひき、三女はインフルエンザにもかからず元気な園児でした。動いている限り裸足でも大丈夫ですと漢方医に言われたことを思い出して、子どもはよく動くことが大切だと教えられた32才の母でした。

2012年11月23日 10:06

『思い出さがし』 64・秋の公園で

お天気の良い日は公園でお弁当を食べる日もあります。秋は短いので、おだやかな日を大切にしてお散歩に出かけます。第一幼稚園の隣の公園は、20数年前は噴水が何本も立っている大きな池のある公園でした。豊かな水が空へ向かって噴き出し、園に爽やかな風を送ってくれていました。でも困ったことに、池の中にはゴミや空き缶が投げ込まれ、あふれ出る水に足を取られてケガをする子ども達が出て来ました。観賞したり、憩いの場として清潔に保たれている時は価値が高かったのですが、何人もの子ども達が頭をケガしたり、水中の汚れた水でずぶぬれになったりしたので、地元住民の要望で現在の様な運動公園になりました。出来上がるとすぐ小学生達の走る姿が毎日の様に見る日が続き、子どもと父親の声が聞こえる町になりました。その頃、公園でお弁当を食べて自由に遊んでいた子ども達。その中にヒラヒラと舞い散る赤く色付いた桜の葉っぱを手で受けながら「ワーつかまえた。」「やったーしあわせ!!」と叫んだ子達がいたのです。「しあわせ!!」と叫んだ女の子は5才児でした。体をくるくるまわすとスカートが広がってお人形さんの様でした。それを見て私も担任も「しあわせな世界やね。」と顔を見合わせました。子どもの世界にはこうした瞬間がいっぱいあります。それを大切に重ねて伝え合うことを忘れてはならないと思います。

2012年11月19日 10:13

『思い出さがし』 63・落ち葉拾い

秋風が冷たくなると、公園や街路樹の葉が色付いて来ます。朝晩の気温差が激しいと美しい葉が多くなります。つたの葉、もみじの葉、桜の葉、いちょうの葉など、近くの山々を美しく染めてくれる木々を求めて人々は山へ登ります。山登りの大好きだった教え子の佐和子ちゃんは、11月になると雪が降るまで山へ登り続けました。そして、木の実やハギの花や山百合、ききょうなど、お父さんと共に毎週のように我が家へ届けて下さいました。ある日、大きな布袋一杯に山の美しい紅葉した落ち葉を届けて下さいました。名前のわからない美しい葉っぱは、学校へ持って行くとあっという間に掲示板を森に変えてくれました。3年生だった佐和子ちゃんの発案だったのです。紅葉した山のふもとに沢山の落ち葉が敷きつめられ、山の上が少し白く雪をかぶっています。山道を曲がりくねって登って行くと、炭焼き小屋があり小さな沢が流れています。大きな杉の木もあり、枯れ枝の木々も並んでいて、その下にふんわりと茶色の落ち葉がいっぱいです。私が大きな袋を教室に持ち運んでから長休みの時間までに大急ぎで仕上げたのでしょう。荒削りだけど見事な森の風景は、クラス全体の子ども達の心を安らげてくれました。こんなことのできた小学時代はもう戻っては来ないのでしょうか。残念です。

2012年11月09日 10:13

『思い出さがし』 62・いもほり②

おいもの周りをぐるっと掘ると、3つつながったいものかたまりが出てきました。「先生といっしょによいしょってひっぱって見ようか。」と言うと大きく頷いて立ち上がりました。2人でつるのついている所を持って「ヨイショ!」と引っぱりましたが砂がくずれただけで抜けません。すると「まだまだ抜けません。」と彼女ははっきりした声で言ったのです。きっと何かイメージが浮かんだのでしょう。「先生と一緒に、よいしょ、うんとこしょ。」と目を輝かせて言うので一緒に引っぱりました。3つの大小連なったおいもが抜けました。「ヤッター!まごを呼ばなくても抜けたね。」と嬉しそうに話す女の子の笑顔は忘れることができません。きっと彼女は本好きなママのもとで毎日絵本を読んでもらって大きくなったのでしょう。そして、大きなかぶの絵本を思い出して、おいもを引っぱったのでしょう。その日の体験はその子の心に長く残ったらしく、それから園内で顔を合わせるたびに「先生、大きい重いおいも、よいしょって引っぱったね。」とか「2人で抜けたね。ねずみさんに助けてもらわんかったね。」とか「大きいおいもやったね。」と話しかけてくれました。「出ておいで。」となでなでしたおいもの表面は皮がむけて美しい紫色ではありませんでしたが、共に絵本のイメージを楽しみながら掘ったいも掘りの思い出は美しいものになりました。日々の行動を絵本のイメージとつなげて楽しむことのできる子は、幸せな時間を積み上げて行く子に育つのだと思っています。 2012年11月02日 10:33

2012年11月02日 10:33

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