『思い出さがし』 67・雪の思い出①
雪国にいると雪の話題は尽きることがありません。特に近年は暖冬が当たり前でそれに慣れてしまったので、少し積もると大騒ぎになります。それだけ社会全体が車社会になり、流通も含めて経済に及ぼす影響は大きくて、社会の機能が止まってしまうことが多くなりました。昭和38年の豪雪、56年の大雪は大変でした。38豪雪と言われた年は、ひと晩で1mを超える雪の中で生活する人もいました。学校も新年の会を中止しました。冬休みの日直に当たった先生は、交通機関も動かず歩いて学校へ通うため、朝6時に出て道なき道を一歩一歩歩くので、学校到着は11時になることが続きました。そこで学校に近い先生が代わって日直をしました。みんなで手分けしてできるだけ学校をあけない様に工夫をしたのです。学校で日直をしていると、除雪した雪のやり場をなくした家々の人は、みかん箱を利用して、作った竹のスキーと組み合わせた木箱に除雪した雪を一杯に盛り上げて、学校の運動場に運び入れていました。水洗便所のなかった時代なので、トイレの汚物も樽に入れ運動場へ運び込んでいました。その上、生ゴミで家の中があふれ出すと、それも箱やビニール袋に入れて運動場に運び込まれました。3月に入るとさすがに雪は解け始めて、残った汚物やゴミはすごい臭いを発し、町中がゴミの臭いでマスクが必要になった日もありました。市の清掃車が運動場を夜を徹して美しくして下さったことに、文明国としての誇りを感じました。