『思い出さがし』 222・子どもの自己防衛③
二週間のご無沙汰で、再開します。 長い手紙は、まだ半分位でした。私は、Hさんに「今日ゆっくり読んでくるので明日まで待ってね。」と伝えて、その日の夜、再びゆっくり読み直してみました。お母さんは神経科へも受診したらしく、その時の冷たい看護士さんと温和で優しい先生のことが書かれていました。その時代は今の時代ほど心療内科や何でも相談で信頼できる先生が多い時代ではないので、きっと勇気が必要だったろうとお母さんの切なさが伝わって来ました。「こんなこと、どこかであったなと思う時は、だれにでもあることです。列車に乗り遅れて、その車輌の後ろ姿を見ながら、こんなことあったなあと思うのは体験を思い出すからです。でも、あなたの様に何度も思い出すのは、自分の人生の中で一番近い存在だった人の影響が強いのです。親、祖父母や兄弟との関係の中で、忘れたいと思っている出来事の1つ1つではないですかと、先生に言われて、ハッとしました。私は厳しい祖父母や両親のもとで生きて来ました。母に叱られたら、ばあちゃんのふところに逃げ込んだという話を聞くたびに涙が出そうになりました。私には逃げ場がなく、女の叱責を訴えるため祖母に泣きつくと叩かれ、お説教をされました。明治の女性らしいキリッとした物言いは、有無を言わさないものがありました。だから私はいつも押し入れの中で声を殺して泣きました。そして、大きくなり人様と同じように結婚して子どもを産みました。私には許されることではなかったんだと思っています。
2016年06月12日 23:58