『思い出さがし』 53・いじめについて考える
リレー大会で1年生のアンカーとして参加した私は、3位でバトンを受け、最後はトップで2年生にバトンを渡したのが注目の的となり、知らないお母さんから「最後、早かったね。カモシカみたい。」と言われました。カモシカって何だろうと思って図書館へ図鑑を見に行った程でした。山の中腹でジッとこっちを見ているシカの様な動物の姿が今も目に浮かびます。こうして逃げ場をさがしている弱者にとって、心を込め応援してくれる人がいると人は再生できるのだと知りました。たった一人でいいのです。静かに隣にいてくれる人がいたら弱者は立ち上がれるのです。京子お姉さんは決して人前で体を張って私を助ける様な人ではありませんでしたが、困っている時必ず隣にいて私を応援してくれました。「ごめんね。大声であなたを助けると、あの人達は私のいない所であなたをもっとひどい目に合わせるかも知れないと思うと大声であなたを守れないのよ。ごめんね。あなたが強くなるために応援することしかできなくて・・・。」こうしみじみと言われたのを忘れることができません。今から70年も前のことですが、こんなに深く考えて行動する6年生がいたのです。多分現代の子達も同じなのでしょうが、今はネットやメールでの形を変えたいじめの構造があって、昔と比較することは困難なのでしょう。でも、妬みやうらみの心がいじめの元になっていることは同じです。その心を大きくしないためにも、幼児期の大きな愛が必要なのだと痛感しています。