『思い出さがし』 22・言うは易し
昭和34年9月に第1子を出産した時、3カ月後、大学時代の哲学の先生だった薄田先生に娘の顔を見せに伺った所、病院に入院中だったので、病室まで押しかけて行きました。哲学の時間は寝る時間と思っている学生が多い中で、私は先生の柔らかい言葉の響きが大好きで、時々見せられる優しい眼差しや、柔和な笑顔が忘れられませんでした。成績を返す時冗談で「ボクはこの教卓から皆さんのレポートを投げ飛ばします。そして遠くへ飛んだものから成績をつけるのです。」といたずらっぽく笑われました。「遠くへ飛んだものはDで最低点。それはね、書かれている量は少ないから遠くへ飛ぶのだよ。内容がうすい。」そう言って1人1人に手渡して下さいました。濃い鉛筆で書いたからでしょうが、結果はいつもAでした。でも赤ペンでしっかり線が引かれており、コメントも書かれていました。講義の中で「己を知ること、己を変えることが一番むずかしい。」と常に口にしておられました。その先生に娘を見せると「ほう、凛々しい顔の子だね。」と笑いかけて下さり「どんな子に育てたいの?」とお聞きになりました。「はい、できれば優しい子。」と答えると「そうか、大切なことだね。でも、言うがやさしいがむずかしいことだよ。何よりあなたが優しくなることだね。」と少し厳しいお顔をされました。その後半世紀むずかしいことでした。自分自身を知ることに通じるむずかしさがありました。今も現在進行形ですが・・・・。