『思い出さがし』 223・子どもの自己防衛④
悲しい手紙の最後には「私は子どもを産むことで、もう大きな罪を背負ったのです。」と綴られていました。厳しくて、いつもおどおどしていた私の幼少年時代を思い出して涙をこらえることが出来ませんでした。私の母は忙しい人で、私は母のヒザの温かさを知りません。でも、母に代わって父の妹だった叔母さんが常に逃げ場になっていました。しかも怖い母の味方をしながら私を抱きしめてくれたので、母への恨みは残りませんでした。こうした逃げ場がないと子どもはウソをついてその場を逃げようとします。年令によっては、すぐ分かるウソもありますが年令が高くなると本当に見抜けないウソをつき、それでも見透かされると感じると見事に他人に転嫁し、その場で正当化を主張します。こうして人を騙すことが身につくのでしょうか、自己防衛のウソだなと気付けた時に原因をつきとめて、気持ちを分かってやるチャンスを逃さなければ生きる方向はきっと違っていたと思います。「ウソをつく子は悪い子」と決めつける前に、どうしてこの子は、こんなにウソを言わなければならないのかと、ほんの一瞬でも考えてくれたら声のかけ方も違うのではないでしょうか。私も母に叱られたり叩かれたりすると、つい本当のことが言えず、叩かれないようにウソをついてしまったことがあります。でも、その時、私の様子を見守ってくれた叔母に優しく問いかけられて本当のことを話す勇気をもらいました。それは、折り紙1枚を借りただけなのに厳しく問い詰められて、つい「学校からもらった。」と言った小さなウソが「学校では折り紙なんか分けていない」ということで言い訳が通らず苦しんだ日を思い出します。
2016年06月20日 23:58