青竜幼稚園・青竜第二幼稚園

石川県金沢市額新町と石川県野々市市上林にある幼稚園です

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園長日記

『思い出さがし』 31・子育てのお手本

新1年生になる子は、きっとドキドキワクワクの時期でしょうね。1年生の担任にとっても同じです。幼児期にあまり保育の体験の少ない子にとっては、家庭からいきなり小学校への入学となる子がいた時代がありました。でも、入学式はとてもきちんとしていて気持ちの良いものでした。緊張はしていても新鮮な思いが強く、瞳の輝きは現代の子ども達より美しかった様に思います。情報も少なく、心を乱されることのない時代だったのでしょうか。きっと子ども達も少ない情報を大切に知って親子で楽しみにしていたのでしょうね。そんな1年生を担任した若い日の自分を思い出すと、やはりドキドキして子ども達を迎え、明日を楽しみにしていました。とても毎日が新鮮で、家庭の様子がよくわかり、お母さんと子どもの話をするのが嬉しくて、お母さんて素晴らしいなあと子どものことを笑顔で語る姿に感動したものです。当然沢山のお母さんと心を通わせることができ、子どもを持った時にとてもお手本になった素敵なお母さんに恵まれました。まさに、お母さんに育てられた自分がいたのです。今思うと本当にありがたくて、子育ての基本がこうしたコミュニケーションの中で育ったことに感謝し、1人で悩みを抱え込むこともなく、あふれる情報にふりまわされることもなく子育てを楽しんで来ました。様々な家庭に様々な子育てがあり、それが実は大切なことなのだとしみじみ思います。近くにお手本のある子育てはとても大切だということを若いお母さんに知ってほしいものです。
2012年03月30日 13:27

『思い出さがし』 30・人間関係の難しさ

1年を振り返ると沢山の子ども達のことを思い出すのですが、やはり印象に残るは楽しいことばかりです。でも、苦しいことの多かった年は、その分だけ成長の著しい年だったと考えることもできます。子ども達のまとまりがなかなか出来なくて悩んだ年も苦しいのですが、親と親との関係が改善されずに残った時は、次の学年のクラス編成にまでひびいて来ます。小学校は長いので、1年生でひっかかると卒業の6年まで先生達は悩みます。子どもは毎日顔を合わせているうちに相手への信頼を回復したり、ふたりの関係の中でわかり合う時が必ず来るのですが、月に1度ぐらいしか会うことのない親達のこじれを直すのは容易ではありません。最近はメールで色々発信する方も多く、ツイッターでも何となくつぶやいたことが大きく取り上げられて、ますますこじれが病的になっているようです。会って話せばお互いに分かり合えることでも、糸がもつれた様になって人間関係がますます悪くなり、人の心は荒れていっているようです。私の教師時代は、その意味でとても問題のない頃だったので、どんなにこじれた時でも短い時間で修復することができました。隠れてメールを打って表面はにこにこしているといった二重人格的な風景はありませんでした。今、学校の先生の悩みを聞いていると、生の会話がなくなったことのかさついた関係が見えて来るようです。それだけ人間関係が複雑になったのでしょう。人類は、新しいものを手に入れる毎に、何かを失っているのだなあと考えさせられます。
2012年03月23日 13:28

『思い出さがし』 29・別れを前に

卒園式が近づいて来ると思い出すことがあります。それは友だちとの別れを知って気が重くなっている子がいて、お母さんの相談を受けた日のことです。女の子は交流が密になり、家族ぐるみの付き合いになるといつもいっしょにいないと忘れ物をした様な気持ちになるらしく、幼稚園でもくっついていて、どこへ行くにも離れません。トイレも手洗いも給食も一緒でないと顔色が変わるほど元気がなかった様です。親の方は「仲良しはいいことだね。」と気にかけることもなかったのですが、3月の中旬頃にA子さんが風邪で休んだ時、B子さんは1日中涙で何も手につきません。先生も心配して何人かの女の子に声をかけ、一緒に遊んだり食べたり並んだりする様に頼んだのですが、泣き疲れて先生のヒザで眠ってしまったB子さんを見て、何とか楽しんでもらうためにはどうしたら良いだろうかと考えていました。その日、お見舞いを兼ねて電話をした先生の耳に、A子さんの母の元気な声が響いて来ました。「先生、B子さん泣いていませんでしたか。」「はい。泣きっぱなしでした。それでご相談もしたいと思ったのでお電話を・・・。」と話しかけると、A子さんの声で「先生、私、明日行くよ。頑張って。」と少し風邪で咳をしながら答えるのが聞こえました。そして「先生、約束したんや、学校行ったら毎日会えんくなるし、あと少しいつも一緒におろうねって、だから・・・。」と言ってコンコンと咳こんでいたそうです。この子達は別れを知ってこんな約束をしたんだなと思うと愛おしくなりました。と先生は話してくれました。悲しさの分かる年になったのですね。
2012年03月16日 13:29

『思い出さがし』 28・ことばの育つところ

5人の子ども達がまだ小さくて、みんな同じ家で家族として暮らしていた頃、我が家には、常に他人様の子どもがいました。長い子で4年間、短い子は2週間、家の子と共に生活していました。年齢は生まれてすぐの子と高校3年生まででした。中には、兄妹の子もいました。私の家に暮らし始めた頃はことばも少なく、食事も偏食の子が多かった様です。特に野菜がダメでした。れんこん、ごぼう、ふき、なっぱ、しいたけ、ピーマンなど苦手でした。ピーマン、しいたけは分かりますが、他のものは口にしたことがないものが多かった様です。母親と共に調理した経験など全くなくて、菓子パンやレトルトばかりのようでした。それも食卓を囲む経験が少なく、テレビを見ながら菓子パンを食べ、ジュースを飲んで各々の食事は終わっていた子が多く、食卓を囲んだだけでプレッシャーになりテレビの前へ行こうとする子もいました。テーブルを囲まないと話しはまわりません。我が家の5人が色々おしゃべりするのをキョトンと見ている子もいました。食卓を囲んで食事をすることで話しが広がり、ことばが行き交うことで沢山のことばを覚えることを実感しました。れんこんを出した時「このおいもどうして穴あいとるが?」と聞いた3才児や5才児を思い出すと、幼児期に色んな話のキャッチボールのできる食卓の大切さと、ことばの関係を知りました。当たり前だと思っていることが当たり前でない世界にいることを沢山の人に知ってほしい、ことばが育つところは家庭の食卓だと理解し、楽しい食事を大切にしてほしいと思います。
2012年03月09日 13:30

『思い出さがし』 27・心友作り

幼なじみという言葉には、淡い思い出と共に強い絆を感じるものです。私の友人の中には、その幼なじみと生涯を共にした子が何組かあります。思い返せば懐かしい思い出の中に2人います。野山を駆け巡って遊んだ日、走ることが大好きだった私の後を追いかけて励まし合ってついて来た2人でした。色白で優しい時子ちゃんの手を引いて、汗をふきながら何度も私の名を呼んで行き先を確かめていた良一くん。時子ちゃんがもう動けなくなると自分もしゃがみ込んで「少し休んで行こうか。」と言ったのでしょう。優しく肩に手をかけていた良一くん。夕日の中に見える2人の姿は絵の様に美しいものでした。やんちゃな2,3人の男の子がはやし立てると、立ち上がって時子ちゃんの手を引き「今、行くからねぇ。」と叫んでいる良一くんの照れた顔がとても可愛く見えました。確か5才ぐらいの秋の夕暮れだったと思います。こうして大人の目の届かない所で、思い切り自由に遊んだ日の積み重ねは、友だちの絆を深めてくれます。私は、この秋の日々を最後に日本を離れ、北朝鮮に渡りましたが、その時の友だちが再びふるさとに戻った時、思い出の折り紙で折った折り鶴を大切に仏壇に保管してくれていました。時子ちゃんと良一くんの2人は、結婚して横浜に住み、やんちゃ坊主だった勇くんと武夫くんは、折り鶴を届けに来てくれたあと都会で働き、時々手紙をくれました。こんな関係を心の友と呼ぶのだと思います。会うと必ず、幼い日の野山が心を結びつけてくれるのです。幼児期に心の友を、と思っています。
2012年03月03日 13:36

『思い出さがし』 26・表現会を終えて

表現会を終えると、子ども達はその子なりの輝きを見せてくれます。たったひとつのセリフでも大きな声でしっかり言えると自信がつくのでしょう。そして先生からも親からもほめられると自分の力を再認識する様です。かつて、なかなかひと言が言えなくて毎日苦労していた子が、練習相手だった子が休んで、ひとりで言わなくては誰も助けてくれない場面に追い込まれ、意を決して体全体を使って大声を出した時がありました。仲間の先生もびっくり。ステージの空気が変わり、みんなボリュームを上げて劇をクライマックスにもっていったことがあります。その子自身もみんなが張り切り出して嬉しかったのでしょう。恥ずかしさも心細さも消えて先生達から120点ももらったのです。表現会近くになって風邪で体調がなかなか戻らない相手の子をリードして、当日を堂々と乗り切った子を今も忘れることができません。どちらかと言うと、誰かの後ろから弱々しくついて行く姿ばかりを見ていたので、その成長ぶりは両親にとっても嬉しいことだったのでしょう。年中組の男の子だったと思いますが「あと1年、この子の成長を共に喜んで下さる先生や友だちと仲良くさせて下さい。」と何度も握手されたことを思い出します。人間は変身願望を持った動物です。劇中では自分でない自分を演ずることで、眠っている能力を見出すことができるものです。「あっ王さまははだかだ。」というセリフを大声で言えたことで、劇全体がひきしまったものになったので、皆の思い出に残り、その子の自信は少年時代以降を支え続けたのです。
2012年02月24日 13:36

『思い出さがし』 25・表現会を前にして

表現会の練習がクレイマックスを迎えています。本番にそのピークを見せたいと思うのですが、子ども達もきっと同じ思いでしょう。早くにストーリーとテーマを理解してしまう子とじっくりじっくり取り組んで人物になりきっていく子、その時々で気分が乗ったり乗らなかったりする子がいて、バランス良く練習をすることは大変なことです。一人一人の体調を考えてピークまで持って行くまでのテクニックは、先生方の力量の問題にもなり、苦労する所でしょう。25年程前になるでしょうか。英語劇でスノーホワイトを演じた時、白雪姫のなり手は沢山いたのですが、いじわるなお妃様になりたい子は皆無でした。これでは劇になりません。いろいろ説得したのですが、女の子はみんなイヤがってなり手はいません。しまいには泣き出す子もいて、じゃあ先生の誰かがしたほうがいいのかもと思っていた所、やってみるという女の子がいて練習が始まりました。聞けば、泣いてイヤがった娘さんを説得したのはお母さんと担任だと聞き、ありがたいと思いました。「鏡よ鏡よ、世界で一番美しいのは誰だ。」というセリフを堂々と言い、くやしがったり満足したりする場面は圧巻でした。彼女の存在は舞台を引き締め、見る人を引きつけ、大きな拍手をもらいました。後で、あの役を本当はやりたかったのにという子も出てきたほどだったのです。色白で少し小太りの魔女は人気者となり、自信をつけて小学校へ入学しました。転勤族でもあったので中学生になってからは会うこともなかったのですが、2、3年前結婚したという年賀状を頂き、演技者だった彼女の幸せを祈っています。
2012年02月17日 13:37

『思い出さがし』 24・なわとびを見つめて

なわとびを飛んでいる年中さんが何人もやって来て、私の目の前に並んで跳ぼうとします。その様子を見ていると本当になわとびの楽しさを知っている子がわかります。まず、並んだ仲間を見て列から離れて場所をゆずる子は自信のある名人です。あまり近づくと縄がからみ合って飛べないことを知っているからです。その上で自分のまわりを見つめて、人通りの少ない場所を確保しています。「見て見て。」とやる気ばかりが先行する子は、縄が回る距離などお構いなしです。とにかく跳べるところを見てほしくて縄を強引に回し始め、隣の子や前の子にぶつかって文句を言ったり「あっちへ行って。」とけんかと吹きかけたりします。気の弱い子は失敗したと思ってか、テレながら退いて行きます。その場で余り移動せずに跳べる子は、50回60回と跳べますが、前へ前へと動く子は、誰かとぶつかります。その時相手を悪いととるか、自分が悪いととるかでその子がなわとびを本当に知っているかがわかります。縄の回る範囲を体感できている子は、たくさん練習している名人です。そんな子を眺めているだけの子が何人もいますが、その眺め方を見ていると、その子達がなわとびにどれだけチャレンジしていくかがわかります。にこにこして見ている子の表情に時々「あぶない。」といった表情が表れるのは、自分も跳んでいる子なので自分の遊びに戻っていく子は、時間がかかりそうです。なわとび1つ見ていても、その子の性格や仲間関係が分かるので、子ども達の姿を見つめることには深い意味があるのです。
2012年02月13日 13:38

『思い出さがし』 23・自信のある子は人をほめる

大人の中で、人を常にけなして、小さなことにもケチをつけたり悪口を言ったりする人
は、どちらかというと劣等感の強い人に多い様に思います。「私がこうしてやった。」
とか「あれは私の一言があったからだ。」とか「私ならそれ位のこと朝飯前だ。」とい
う人を見ていると、何と底の浅い人なんだろうと思ってしまいます。「そんなことでき
んのか。オレに任せとけ。」と言って友人が説明書を何度も読み返しているのを見た
利口ぶった人が、友人の作業を取り上げてやっていました。でも、彼の手に渡った
作品は、どんどん形が崩れていく様に思えたので、私は見るに見かねて「やっぱり
持ち主のやり方でやったほうが良いのじゃないの」と口をはさんだところ「この説明
書は欠陥品や。それか、この物自体が欠陥品やと思う。店へ返して来い。」と吐き
捨てる様に言ったのです。いつもイヤな奴だと思っていた人達は「本人のやり方に
任せろよ。」と優しく言ってその場を離れました。大学生の頃だったと思います。世
界の有名な建築物を毎月1つずつ作って飾りつけるものだったと思いますが、数日
後オランダの風車の様なものと小屋がつながった素敵な建物を持って来てくれたの
があの友人でした。それを見た私達は一斉に「すごい!あの時のものか。」と声をか
けました。「うん。ようやく出来たんや。」とはにかむ友人に向かって例の欠陥品だと
言った友人は「オレなら3日で出来たのに。」と言って部屋を出て行きました。これと
反対に幼稚園の5才児で、バスの中から看板の文字をスラスラ読める子を見て「先
生、Kちゃんこんな難しい字、早く読めるんやぞ、すごいね。かっこいいね。」と自分
のことのようにほめる子がいます。聞くところによると、人をほめた子は何でもできてスポーツも抜群だとのこと。自信がある子は人をほめれるのです。
2012年02月03日 13:39

『思い出さがし』 22・言うは易し

昭和34年9月に第1子を出産した時、3カ月後、大学時代の哲学の先生だった薄田先生に娘の顔を見せに伺った所、病院に入院中だったので、病室まで押しかけて行きました。哲学の時間は寝る時間と思っている学生が多い中で、私は先生の柔らかい言葉の響きが大好きで、時々見せられる優しい眼差しや、柔和な笑顔が忘れられませんでした。成績を返す時冗談で「ボクはこの教卓から皆さんのレポートを投げ飛ばします。そして遠くへ飛んだものから成績をつけるのです。」といたずらっぽく笑われました。「遠くへ飛んだものはDで最低点。それはね、書かれている量は少ないから遠くへ飛ぶのだよ。内容がうすい。」そう言って1人1人に手渡して下さいました。濃い鉛筆で書いたからでしょうが、結果はいつもAでした。でも赤ペンでしっかり線が引かれており、コメントも書かれていました。講義の中で「己を知ること、己を変えることが一番むずかしい。」と常に口にしておられました。その先生に娘を見せると「ほう、凛々しい顔の子だね。」と笑いかけて下さり「どんな子に育てたいの?」とお聞きになりました。「はい、できれば優しい子。」と答えると「そうか、大切なことだね。でも、言うがやさしいがむずかしいことだよ。何よりあなたが優しくなることだね。」と少し厳しいお顔をされました。その後半世紀むずかしいことでした。自分自身を知ることに通じるむずかしさがありました。今も現在進行形ですが・・・・。
2012年01月27日 13:45

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